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出身の埼玉県立浦和高校は、毎年東京大学をはじめとする難関大学に多くの合格者を出す全国屈指の進学校。OBには「日本のいちばん長い日」などの昭和史ノンフィクションで知られる作家の半藤一利氏や、心臓血管外科の第一人者で天皇陛下(現上皇さま)の心臓手術の執刀医として知られる天野篤氏、宇宙飛行士の若田光一氏、元外交官で作家の佐藤優氏らがいる。

浦高は男子校で、一言で言うと非常に自由な学校でした。一応、標準服はあるのですが、僕がいた頃は基本的に何を着て行ってもOKでした。行事もすべて生徒主導で、特に文化祭はレベルが高かったですね。県内には、男子のシンクロナイズドスイミング「ウォーターボーイズ」で有名な川越高校があって、そこの文化祭の人気にはかなわないものの、浦高も毎年かなりの人気でした。

生徒はそれぞれ好きなことに熱中していましたが、僕がハマったのは木工で家具を作る「工芸部」という部活です。工芸部なんて聞いたことないですよね。全国的にも唯一か、非常に珍しい部活だと思いますが、浦高の中では伝統あるクラブなのです。浦高ではそもそも芸術系の選択科目の中に、美術と音楽と並んで「工芸」がありました。その昔、工芸の授業と工芸部を始めた増田三男先生は、有名な彫金家でのちに人間国宝になった方です。

なぜ工芸部だったかというと、最初に見学に行ったときに先輩たちがあまりに精巧なすごい作品を作っていることに衝撃を受けたからです。以来、毎日授業が終わると部室に直行、刃物を研ぐことから始めて、夕方警備員さんに追い出されるギリギリの時間まで家具作りに没頭していました。使う木材もホームセンターに売っているようなものではなく、東京・新木場の材木屋まで行ってほとんど製材されていない丸太を買ってきて、そこからノコで切ったりカンナで削ったり、ノミや小刀で細工をしていくのです。

モノ作りってやっている最中は結構しんどくて、正気に戻って「なんでこんなことしているんだろう」と思うことも多いのですが、やっぱり完成したときの達成感や喜びは格別です。合宿で宮大工の仕事場に入らせていただいたときには、本気で弟子入りしたいと思ったほどでした。

特に思い出深いのは、くぎを1本も使わずに作り上げたロッキングチェアです。高校美術部の全国大会に出品され、油絵や彫刻が居並ぶ中でかなり目立っていました。文机も作りました。天板に桜の木を使い、ピンクがかった色味や美しい木目が出るように、いろいろ工夫してモダンに仕上げました。これは今でも愛用しています。

顧問の先生は増田先生から直接指導を受けた方で、身近で実用性があるものにこそ本質的な美しさが宿っており、それを自らの手を動かして作るというその身体性に意味があるのだということを繰り返し語っていました。僕もすっかりその思想に染まりました。

OB会もあって50代の方が「まだ若造ですが」なんて言っている世界なのですが、皆さんさまざまな業界で活躍していました。そしてそろって「工芸部で学んだことが社会に出てからも生きた」という話をされていたのが印象的でした。今、僕はロケットを作っていますが、自分の手を実際に動かしてモノを作ることの重要性や醍醐味を知ったのは、この浦高工芸部との出合いがあったからだと思います。

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