宇宙ベンチャー社長のモノ作り愛 原点は浦和高工芸部
稲川貴大・インターステラテクノロジズ社長(上)
リーダーの母校モノ作りをしたいと1浪して東京工業大学に進学。毎年琵琶湖で行われる鳥人間コンテストに連続出場しているサークルに入り、人力飛行機作りにまい進した。
高校では数学や物理が得意だったのと当時はロボットに興味があったので、一番そういうことが勉強できそうな東工大の第4類を選びました。今は入試が「類」別から「学院」別に変更されているようです。ロボコンのサークルもありましたが、鳥人間コンテストで優勝経験もあるMeister(マイスター)というサークルに入りました。

東京工業大学時代に打ち込んだ鳥人間コンテスト
入学してすぐ、4年生がパナソニックと共同でオキシライト乾電池で飛行機を飛ばす実験をしているのを見に行ったのです。オキシライト乾電池は、従来のアルカリ乾電池より高性能な電池で、それを使って全長30メートルもある飛行機が実際に空を飛んでいる。「こんなものを自分たちで作れてしまうんだ」と感激して、一瞬で虜(とりこ)になりました。
マイスターは各学年20〜30人のメンバーがいる大所帯でした。入ってすぐの鳥人間コンテストでは、チームは優勝候補の筆頭と言われていたのに、琵琶湖のプラットホームを飛び立った直後に消波ブロックに激突。放送もされませんでした。パイロットが骨折しただけで済んだのは奇跡的と言われたぐらいの大事故で、僕自身も人を乗せて飛ぶ怖さと、作る者の責任の重大さを痛感しました。
浦高の工芸部の時もそうでしたが、先輩たちから手取り足取り教えてもらうのではなく、自分で学べという暗黙のルールのようなものがあったので、相当勉強しました。大学の授業を待っていては追いつかないので、1年のうちから2年の内容を先取りして学び、2年の時は3年で学ぶ材料力学や流体力学を独学しました。僕が2年生の時、チームは5年ぶりに鳥人間コンテストで優勝。大いに盛り上がり、次こそは自分たちの代だと張り切りました。
翌年、果たして連覇はできたのか。また、その後立ち上げたロケットサークルのことや当社のファウンダー、ホリエモンこと堀江貴文さんとの出会いについては次回、お話しします。
(ライター 石臥薫子)