パナソニックの「OL監督」 PDCA回す映画人に
キャリアコラム奈良高、神戸大で自主映画に奔走

2017年「36.8℃ サンジュウロクドハチブ」撮影現場での安田さん。
「日常的な設定なのに、なんて面白いんだ」。中3の時、森田芳光監督の『家族ゲーム』を見て衝撃を受けた。SFやアクションなど、非日常を題材にしたモノが映画だと思い込んでいた。
しかし、「日常からもドラマは作れる」と感激し、奈良県立のトップ高、奈良高に入学するや、映画研究部に入った。8ミリカメラを回すうちに自主映画制作が面白くなり、一瞬、芸術系の大学進学もよぎったが、私立は学費も高いので、現実的な選択ではなかった。
京都大学、大阪大学、神戸大学――。関西の進学校では、地元国公立の名門大を目指す生徒が多い。神戸大法学部に進んだが、講義はサボりがちだった。入学時に映画以上に夢中になったのは広告の世界だった。
「広告批評」編集長などを務めた天野祐吉さんらが教える京都の「いろはコピー塾」に通った。ただ、「1行のコピー、15~30秒のCMでメッセージを伝えるのは難しい。やっぱり自分は、1~2時間かけて人間模様を描く映画の方が好きなんや」と気付き、大学のサークルでの自主映画づくりに奔走した。
バブル後に松下へ、販促部で地味な仕事
しかし芸術系の学校ではないので映画人になる卒業生は少なく、「女性映画監督」なんてイメージできなかった。むしろ厳しい現実があった。バブル経済がはじけ、企業は一気に採用を絞った。特に女子学生にはきつい。「モノ作りの会社がいい」とメーカー中心に就職活動をして松下に採用された。
1993年に入社し、家電の営業本部の販促部門に配属された。ただ、テレビCMなどを扱う華やかな広告・宣伝の部署ではない。現在、「パナソニックショップ」と呼ばれる街の電器屋さん向けに、チラシやカタログ、展示会の企画を担う地味な仕事だった。
それでも、「自分に合っている」と思った。電器屋さんの声を聞いて、宣材をつくり、どのように活用されたかを検証して次に生かす。PDCA(計画・実行・評価・改善)を回すのがおもしろかった。職場の上司や同僚には、「仕事好きな社員」と思われていた。
自主映画作り継続、驚く上司
一方で、お盆など休暇を活用して自主映画作りも続けた。時には徹夜で編集作業にもあたった。あくまで趣味として作品を撮り、インディーズの映画祭に応募していたが、受賞を重ねるうちに「監督・脚本家」への憧れが膨らんできた。
「関西に安田真奈という女性監督がいる」と制作会社やプロデューサーに覚えてもらうため、全国の映画祭に足を運び、「手裏剣のように名刺を配り、作品を気に入っていただけたら後日訪問する」などPRに注力した。やがて地元テレビ局のプロデューサーに「深夜番組帯で、1本撮ってみない」と誘われ、納品した。
「安田さん、こんなことしてたん」。映画制作の趣味を伏せていたので、新聞のインタビュー記事を見つけた上司が驚いた。NHKや雑誌などが「OL監督」として取り上げた。ただ、職場の人たちは見守ってくれた。次第に脚本や監督の依頼が続き、「両立が難しくなった」。悩んだ末、2002年秋に退職、独立した。その後もパナソニックとは、CMを撮るなど良好な関係が続いている。