パナソニックの「OL監督」 PDCA回す映画人に
キャリアコラム通常の映画監督は、映像関係の学校を出たり、助監督として「修行」を積んだりして、監督になるケースが多い。芸術家肌だったり、ビジネス度外視だったりする監督もいる。しかし、安田さんは会社員として身につけたノウハウを生かして監督業に転身した。
ビジネス由来の安田流映画作り
いくつかの安田流の決め事があった。「撮った作品はお蔵にしない。チラシなどで告知して上映し、お客さんに見ていただく。会場の後ろで、お客さんの反応を見る。ここで笑う、ここで寝る、ウケる、と検証する。そうした反応やアンケートを、キャスト・スタッフと共有して、喜びあったり、次に生かしたりする」。パナソニック時代のようにPDCAを回した。

人のつながりをテーマに作品を撮りたいという安田さん
さらに「1年に必ず1本は撮る」「良い題材があれば、すぐ脚本を書いてすぐ撮る」「しっかりPRをする」という決め事もあった。それらは全て、プロになるための糧となった。
制作には予算やキャスト、スタッフ、ロケーション、スケジュールなど様々な条件が付く。パナソニックという発注側にいた安田さんはそれぞれの立場の人の事情が痛いほど分かる。厳しい条件を課せられても前向きに取り組めるのは、会社員経験のおかげだという。
子育て中は脚本業、人のつながりテーマに映画復帰
06年に全国公開した「幸福のスイッチ」は好評だったが、撮影後すぐに妊娠。育児中心の生活となり、10年以上も撮影現場から離れた。ただ、その間は脚本家として作品を書き続けた。
「学生時代、ウツになった祖母の話し相手をつとめるうちに、パニック障害と神経性胃炎を患って長く悩みました。悩みは一人で抱えるとしんどいな…と痛感したので、『人と人のつながり』を描く作品が多いのかもしれない。今の時代は、親戚付き合いも地域の交流も減ったので、社会的に孤立する人が増えた気がしますね」と安田さんは話す。
子育てが一段落して映画の現場に復帰、次々作品を発表している。この秋には山梨でオリジナル脚本による青春ドラマを撮影する。「これからも、心に『陽』の風が吹く作品を撮りたい」とほほ笑む。
(代慶達也)