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思い出深いゴールデンゲートブリッジ 海外出張果たす

異動先は、新規事業となるゲーム機事業の部門だった。当時はパソコン普及の起爆剤となった、米マイクロソフトのOS(基本ソフト)「ウィンドウズ95」もまだ、登場する前。ネット社会の「夜明け前」といった時期にあたる。それでも、家電業界では「マルチメディア」(コンピューターを利用して文字や映像、音声などを自由に組み合わせ、多様な情報を双方向に伝達する技術の総称)が次世代市場と目され、開発競争が進んでいた。ゲーム機はその核ともなる製品だった。

新規事業が立ち上がるからと、全社的にいろいろな部門から人が集められて、そこになぜか出されました。個人としては電子ゲームにそう興味はありません。ただ、「電気回路図を見ながらご説明」といったデバイスよりは、まだ手触り感がありました。

事業は華々しく立ち上がりました。キックオフの日、わざわざ当時の社長がいらして祝辞を述べられて。「盛り上がっているなぁ」という日に私も着任しました。

商品は、海外から発売をスタートしました。私は海外マーケティングの担当で、世界各地の販社に販促物を支援したり、展示会があれば説明員として現地を訪れたりというので、結構すぐに海外出張のチャンスが回ってきました。

初めての海外出張はアメリカでした。到着地となるサンフランシスコ国際空港に近づいて、下降していく飛行機の中から見たゴールデンゲートブリッジ(金門橋)は、いまでもくっきりと目に浮かびます。「ようやく自分も出張で海外に来られるようになったんだ」と思い出深い節目となりました。その後も出張などでサンフランシスコに行く度に、あのとき見たゴールデンゲートブリッジを思い出します。

サンフランシスコを訪れる機会があると、初の海外出張の際に飛行機内から見たゴールデンゲートブリッジを思い出すという。

サンフランシスコを訪れる機会があると、初の海外出張の際に飛行機内から見たゴールデンゲートブリッジを思い出すという。

目の当たりにした事業の盛衰 「手に職を」と法務畑へ

華々しく立ち上がった新規事業だが、5年もたたないうちに「ジェットコースターが落ちるように」低迷する。苦境打開に向け、当時の事業部長は提携先探しに奔走。英語力に長(た)けている少徳さんは、事業部長が海外での交渉に臨む際、同行して「通訳もするし、メモも取るし、議事録もつくる」といった役割を担った。

いうなれば「かばん持ち」です。相手企業と交渉が進んでいくと、契約書を仕立てる仕事が生じます。そこまで来ると、事業を担当している法務の方が同行してくださるようになる。そうした一連が、法務の仕事との最初の出合いでした。

残念ながら事業再興はならず、各部署から集められたメンバーは全社に散らばって行きました。歓送会続きだった、ある日のことです。「法務部門に来ない?」。その事業を担当していた法務の方がそう声をかけてくださいました。「少徳さんは英語もできる。契約交渉のサポートや交渉を書面にまとめることもできるようになってきているから、どうだろう?」。それが法務で働くようになったそもそものきっかけです。

事業のアップアンドダウンを目の当たりにして、自分でも、何かバックボーンが必要だと、平たく言えば「手に職を持たなければ」と思っていました。異動を打診してくださった法務の方は、事業撤退が近づくなかで行き場のない私に、結構真剣に救いの手を差し伸べてくださったのだろうと思います。「30代になって仕事を続けようと思うなら『手に職』がいる。法務は面白くなさそうだけれど、専門性があって正に『手に職』だ」と考え、企業法務としてのキャリアがスタートしました。

20代後半になり、かつての「数年働いて」が「働き続けよう」に変化していた。

働いてみたら、「仕事って面白い」と気づいたのです。ドラマチックな何かがなくても日常的にサプライズや発見があるというか、日々、異なる体験ができる。

仕事は楽しいことばかりでなく、しんどいこともいっぱいあります。それでも、少しずつ自分ができることが増えていって、成長もできる。できることが増えていけば、ささやかでも「役に立てたかな」と実感できたり感謝されたり認められたりして、また前を向ける。(退職して)家に入ってしまったら、こんなにエキサイティングなことは、そう起きないだろうなぁと仕事に対する考え方が学生時代から変化したのです。

ちょうどその頃、離婚する友人も出てきて。「結婚はゴールじゃない。スタートなんだ」と気づかされたと同時に「何があっても大丈夫なように、自分の足で立っていなければ」と思うようになりました。それも「働き続けていこう」と考えるようになった一因です。

「めっちゃ面白かった」 法律の勉強

企業法務で必要な知識は、法律という大きな塊のなかでは、ごく一部なんです。ただ、当時の法務部長は「企業の中で法律の専門家になっていこうとするならば、実務で学ぶだけではなく学問として学ぶ必要がある」と言い切られました。ちゃんと法的なものの考え方ができる人材になるように、と考えてくださったのだと思います。

果たして卒業できるのか不安でしたが、働きながら通信課程の法学部に入り直すことに。平日の勉強は帰宅後1時間くらい。土日に集中的に時間を取ったり、長期休みにスクーリングしたりして、勉強を進めました。

学んでみると、法律の勉強は、めっちゃ面白かったです。考えてみれば、買い物だって契約行為で、私たちの日常は法律があって成り立っているわけですよね。学習しながら、「なるほど! こうだから、これは『契約が成立しない』となるんだ」とか、分かってくると本当に面白くて。法務部門へ異動した当時の、「面白くなさそう」といった「思い込み」を反省しました。

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