元ラグビー代表・広瀬氏もキツかった 北野高の体育
広瀬俊朗・元ラグビー日本代表主将・HiRAKU代表取締役(上)
リーダーの母校
元ラグビー日本代表主将 広瀬俊朗氏
日本でもメジャーなスポーツとして楽しまれるようになったラグビー。きっかけとなったのは2019年に日本で開催されたラグビー・ワールドカップ(W杯)だ。元日本代表のキャプテン、広瀬俊朗氏(40)は同大会を盛り上げた立役者の一人で、現在は起業家、コメンテーターとしての顔も持つ。母校の大阪府立北野高校(大阪市)は、漫画家の手塚治虫氏や日本マクドナルド創業者の藤田田氏、元大阪府知事の橋下徹氏、日本テレビ系列news zero のキャスターで現在広瀬氏とも共演している有働由美子さんらを輩出している名門校。広瀬氏は北野で何を学んだのか。
生まれ育った大阪はラグビーが盛んな土地柄。広瀬氏も両親のすすめで5歳から吹田ラグビースクールに通い、全国高校ラグビー大会、いわゆる「花園」に憧れた。高校受験では地元の強豪校から誘われ心が揺れたこともあったが、過去に6回の花園出場経験があり、祖父の母校でもあった北野高校に進学した。
北野高校は進学校として知られていますが、生徒は勉強を大事にしつつ、部活にも熱心で一人一人自分が好きなものを追究している文字通り「文武両道」の学校でした。細かい校則やホームルームもなく、生徒は何事も自分たちで考えるよう推奨されていて、そんな自由な校風が僕には合っていたと思います。先生たちは教育熱心だった印象があります。特に休み時間が終わるのを廊下で待っていて、チャイムが鳴った瞬間に教室に入ってこられる先生が多かった。普通、チャイムを聞いて職員室を出る先生もいますよね。1秒たりとも無駄にせず、真剣に生徒と向き合おうとする気迫のようなものを感じました。
文武両道という点で北野高校は体育の授業が厳しいことでも有名です。50メートルのプールがあってノルマのタイムを達成できないと補講を受けさせられるとか、縄跳びは本物の縄を使って後ろ二重跳び20回できないとダメとか。マラソン大会も10キロ淀川を走らされます。僕はラグビーをやっていて体力はあるほうでしたが、それでもきついなあと思いました。なぜそこまで厳しくするのか、先生たちから聞いた記憶はないですが、人生で何をやるにしても体力は必要ですし、この先直面するであろうさまざまな困難に対して、挑戦して乗り越えていく大切さを体感してほしいとの思いがあったのでしょう。
北野高校のラグビー部は1923年創部と伝統があり、一番近い先輩では12歳上の元大阪府知事の橋下徹さんの代が花園に出場しています。僕もうまくなりたい一心で頑張り、キャプテンになりましたが、チームとして僕の代は、花園はまず無理というレベルでした。ただ、監督が細かいことは言わずに自由にさせてくれる人だったので、自分たちで練習メニューを考えたり、練習が終わってからもいろいろ話し合ったりしていました。