元ラグビー代表・広瀬氏もキツかった 北野高の体育
広瀬俊朗・元ラグビー日本代表主将・HiRAKU代表取締役(上)
リーダーの母校ラグビーはいろんなポジションがあるので、体の大きい人も小さい人も、よくしゃべる人も無口な人も、それぞれ活躍できるポジションがあるのがいいし、一人ひとりがこのチームのために頑張ろうと思ってくれた時にいいラグビーができます。大学、社会人、日本代表でもキャプテンを務めましたが、組織づくりの原点と、自分の頭で考える楽しさを最初に学んだのは北野高校時代でした。
ただ、いいことばかりではなく、失敗もありました。高3の時、花園の予選は早々に負けたものの、僕自身は高校日本代表に選ばれ、キャプテンを任されたのですが、この時はチーム作りがうまくいきませんでした。準備期間も短かったですし、北野の同期よりはるかに個性的な猛者たちを相手に僕自身が遠慮してしまったのもあって、うまくコミュニケーションを取ることができなかったのです。日本代表の遠征試合では1勝2敗。世界とのレベルの差も思い知らされました。でも、どうチームを作っていけばいいのか、自分自身は何をすべきかを深く考えさせられたという意味で、今思えば成功につながる貴重な失敗体験でした。ラグビーがグローバルなスポーツであることを高校時代に体感できたのも良かったですね。
北野高校時代はラグビーの練習の傍ら勉強にも力を入れ、慶応義塾大学理工学部に推薦で合格した。
わからなかったことがわかるようになる瞬間が好きで、もともと勉強は好きでした。電車通学だったので、その時間を使って予習復習に力を入れました。僕は疲れた時は我慢せず思い切って寝る派でしたので、時には予習しておいて授業中に少し睡眠をとることもありました。
得意だったのは数学です。北野高校には三橋賢市先生という北野生なら誰もが知る「数学の神様」がいて、その先生のことは今でもよく覚えています。新卒で着任して以来ずっと北野で教えられていた方で、僕がいた頃はすでにおじいちゃんでしたが、優しくおっとりしたしゃべり方で生徒から人気がありました。その三橋先生の授業で「こんな解き方があるのか」と面白い解き方を知った時などはワクワクしました。
大学は、最初は早稲田に行きたかったんです。当時、慶応より早稲田のほうが強かったですし、早稲田のラグビーのスタイルが好きだったので憧れがありました。ところがある日、慶応蹴球部の上田昭夫監督ご本人から直接電話をいただきました。突然の電話で驚きましたが「一緒にラグビーをやろう」と言ってくださり、その熱意に心を打たれました。ちょうど創部100周年に向けて強化もしていて、どんどん強くなる過程だったのでそこでやれることに魅力を感じ、一気に慶応に気持ちが傾きました。
北野では慶応の推薦枠は理工だけでしたが、僕自身、理系科目は得意だったので本格的に目指すことにしました。北野は毎年100人近くが京都大学に進み、大阪大、神戸大、東京大を目指す生徒も多いので、学年で60〜70番目でも慶応の推薦は十分狙えました。