コーチング大手社長 KPMGコンサル時代に流した涙の力
ウエイクアップCEO 平田 淳二氏(上)
キャリアの原点「『本当はあなたはどうしたいと思っているの』と。僕が固いよろいで本音を隠していることを見抜いて、本気で正面から向き合ってくれたのです。彼女の人としての関わりの熱さで、僕の心も溶けたんでしょうね、気づいたら涙を流していました。そして初めて、『自分はコーチとして生きていきたい』という本音を言葉にすることができたのです。その瞬間は、冷たいロボットから温かい血が流れる人間に生まれ変わったような感覚でした」
それまで持っていた「このレベルでプロになりたいだなんて、おこがましい。恥ずかしい」という思いや、誰かに批判され傷つくのを恐れる気持ちもスッと消えた。自分が本当に欲していることに向き合い、それを周囲に宣言できたことが、人生の大きな転換点となった。
昼はコンサル、夜と土日はコーチングで資格取得
プロのコーチになると心は決まった。次のステップとして国際コーチング連盟(ICF)が認定する資格の取得に挑戦することにした。ただし、そこには「100時間の有料コーチング」という難題が待っていた。自分のコーチングを半年間継続して有料で受けてくれるクライアントを確保し、合計で100時間のコーチング経験を積まなければならないのだ。今でこそホワイト化したとも言われるコンサルティング業界も、当時はハードワークが常識で、時間的余裕もない。
「『資格を取りたいので僕のコーチングを受けませんか。そしてお金も払ってください』という実に厚かましいことを、社内外の知人・友人にお願いしなくてはならないわけです。最初は恥ずかしいし、断られたらどうしようと躊躇(ちゅうちょ)しました。でも、なりふり構ってはいられません。勇気を振り絞ってお願いしてみると、7〜8人の知り合いが快くクライアントになってくれました。それは本当にありがたかった。そこからは昼はコンサルティングの仕事に集中し、平日の夜と土日はひたすらコーチングという毎日で、平均睡眠時間4時間ぐらいだったんじゃないかな。もう必死でした」
奮闘の甲斐あって、9カ月後、プロのコーチとして生きていくための武器となる資格試験に合格した。しかし、その先にはもう一つ大きなハードルが待っていた。憧れた末に手に入れ、やりがいを感じていたコンサルタントという仕事。高いステータスと待遇は、そう簡単に捨て去れるものではない。後半では、何が最終的に平田氏の背中を押したのか、さらに独立を経て、スクールのCEOになるまでの軌跡を紹介する。
(ライター 石臥薫子)