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「今思えば古い文献だったのでしょうが、ゲイとはホモ・セクシュアリティーのことであり、精神疾患だと書かれているのを見つけて、ものすごくショックを受けました。当時はその認識が間違いであると知る由もありませんから信じ込んでしまい、自分は精神を病んでいるのか、こんな自分のことを両親にどう説明すればいいのかと悩みました。もしかすると両親が『育て方が悪かった』と周りから責められるかもしれない。そんなことになったら、ここまで育ててくれたのに申し訳ない。もう自分なんて、いなくなった方がいいのではないかと自殺を考えていました」

両親の反対押し切り米国で大学へ

カミングアウトしたのは16歳の時。折しもエイズが猛威を振るい、ゲイの男性に対する偏見や差別が激しくなっていた時期で、父親は動揺し、半年間、口を聞いてくれなかった。結局、両親は受け入れてくれたものの、家族の車がナイフで切り付けられる事件などもあり、とてもつらかったという。

大学進学に際し、両親からは日本に戻るよう強く勧められた。「アメリカにいる限り、将来、仕事を始めても人種差別の厚い壁にぶち当たることになる。であれば、日本の大学を出て日本で就職したほうがいい」というのが両親の考えだった。

カリフォルニア大学アーバイン校では当初、機械工学を学んでいたが、途中で音楽部ピアノ演奏科に専攻を変えた

カリフォルニア大学アーバイン校では当初、機械工学を学んでいたが、途中で音楽部ピアノ演奏科に専攻を変えた

しかし、貴田氏は反対を押し切りカリフォルニア大学アーバイン校に進むことを決める。一番の理由は「LGBTに対する日本の認識が遅れていて、日本に帰るのが怖かったから」だ。当時日本では、エンターテインメントやサブカルチャー空間以外でLGBTが表立って語られることはなく、学校や職場などでの偏見・差別意識はアメリカをはるかに上回ることが容易に想像できた。

そうして進んだカリフォルニア大では機械工学を専攻した。もともと数学や物理が得意だった。だが、あるハプニングがきっかけで思いもよらない学部に転じることになる。

入学から2年余りたったある日のこと。大学の音楽室で趣味であるピアノを弾いていると、通りがかった音楽部の教授から「君も試験を受けにきたの?」と尋ねられた。たまたまその日は、音楽部の入学選考試験が行われており、受験生と間違われたらしかった。「試験を受けに来たのではなく、機械工学部の学生です」と答え、その場は笑い話で済んだ。ところが数時間後、2人の教授がやってきて真剣な面持ちで言った。「君のピアノのレベルであれば、十分音楽部でやっていける。専攻を変える気はないかな」

「アメリカでは途中で専攻を変えることは珍しくはないのですが、まずは両親に反対されると心配になりました。でも、ふと母のことが頭をよぎったのです。ちょうどその頃、母はがんを患っていました。ピアノはその母の勧めで幼稚園児の頃に、音楽教室で習い始めたのが最初でした。私がここでピアノを専攻すれば闘病中の母を勇気づけられるかもしれないという思いが膨らみ、最終的には音楽部を選ぶことにしました。残念ながら母は卒業前に他界しましたが、コンサートに来てくれた時の母の表情はいまだに忘れられません」

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