変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

このまま成果が出せなければクビになる――。危機感を募らせた宮本さんは、「自分を180度変えよう」と決めた。最初にやったのは、日経新聞の購読中止。たかが新聞と笑うなかれ。周囲の大人が日常的にビジネスの話をする環境で育ち、小学2年生から新聞を毎日隅々まで読むのが日課だった宮本さんにとって、それを止めるのは「歯磨きをしないのと同じくらい気持ちが悪く、相当なストレスだった」。同世代のビジネスパーソンに置いていかれるのでは、という葛藤もあった。だが、ここでも振れ幅を意識し、ユーチューブなどの娯楽にどっぷりとつかるよう生活を一変。同僚や顧客が仕事以外で関心を持っていることにアンテナを向けるよう努めた。

「友人や知り合いの経営者に悩みを相談した際、何に重きを置くべきなのかをよくよく考えたんです。辞めて自分が楽に生きられる道を選ぶのもありですが、経営者を目指すのであれば、いろんな価値観、興味関心を持つ人をまとめ上げる経験が必要。そのためには今、自分が変わらなきゃダメだと」

徐々に緩急を織り交ぜたコミュニケーションができるようになると、証券会社で培った新規営業開拓や目標達成などのスキルとの掛け算でどんどん成果が出るようになった。その後、日経の購読も再開し、6年後には執行役員に昇進した。

仕事の幅が広がるにつれ、今度は人材マネジメントや組織運営に関して力不足を感じるようになった。MBAでそれらを体系的に学びたい。そう考えたが、役員として多忙な生活を続けながらでは難しいだろうと辞職を決意。2年かけて社内の同意を取りつけつつ、時間的余裕が持てそうな転職先を探した。

多様性感じた早稲田MBA スタートアップ経営に即応用

20年2月、インフルエンサーマーケティングを手掛けるBitStar(ビットスター、東京・渋谷)に転職。4月には晴れて早稲田大学ビジネススクールに入学した。数あるMBAコースの中で早稲田を選んだのは、コンサルティングファームなどで活躍してきた実務家教員と、学術分野で高い実績を誇る研究者教員のバランスが良いと感じたからだ。

入学してみると、学部を卒業したばかりの22歳から上は55歳まで、専門分野も営業から財務まで多様な人が集まっていた。普段の仕事ではなかなか出会えないメンバーと切磋琢磨(せっさたくま)できると胸が躍った。が、実際のMBA生活は思った以上にしんどかった。

3万字の修士論文を仕上げてMBAを修了した(右から4人目が宮本さん)

3万字の修士論文を仕上げてMBAを修了した(右から4人目が宮本さん)

「まず転職早々、ビットスターの経営状況が一時的に悪化し勉強どころじゃない状態に陥りました。危機は半年くらいで脱したのですが、その過程で僕自身が執行役員をやることになり、MBAの勉強と両立するには睡眠時間を削るしかなくなって、本当に死ぬんじゃないかと思いました。でも半面、学んだ知識をすぐに生かせる経営課題が常に目の前にある環境だったので、実践力が養われたのは確かです」

22年3月、3万字の修士論文を書き上げMBAを修了。その後ビットスターでM&A(合併・買収)を手がけた際には、授業で使った資料を引っ張り出し、専門家を使わずに完遂できた。「M&Aもそれほど大掛かりなものでない限り、全部自分でできるとわかった。MBAの学びは戦略から商品設計、事業価値の算定まで幅広く使える」というのが宮本さんの実感だ。

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