ゴーゴーカレー、なぜ東京発 原点は松井秀氏の本塁打
ゴーゴーカレーグループ(上)
ヒットの原点いきなり新宿へデビュー 勢いに乗ってニューヨークへ
カレーでメジャーになると決めて、最初に取り組んだのは、金沢カレーの製法を知るための修業だ。学ぶ場所は決めていた。自分が長年、通い詰めた「ターバンカレー」だ。1971年創業の老舗。金沢市民に愛され、自分が愛した味を頼りにした。何度も断られながら、めげずに頼み込んで修業を受け入れてもらった。
「将来は独立したいと、最初から伝えていた。それでも修業を受け入れてもらえたのは、店主さんの人間の大きさ」と、宮森氏は感謝を忘れない。2019年には事業を承継。20年に東京都内への初出店を実現した。
金沢市内での第1号店舗を計画したが、ふさわしい物件が見当たらなかった。しかし、先輩から受けた「だったら、東京へ出たらいいんじゃない」というアドバイスで道は決まった。「別に金沢発のカレーだからといって、金沢で創業する必要はない。東京のほうがニューヨークに出やすい」と気づいた。ニューヨークへ行きたいという気持ちが一足とびの東京デビューを促した。
新宿での1号店オープンにあたっては、周辺に3万枚ものチラシを配った。当時はまだ「金沢カレー」を知る人が東京にはほとんどいなかった状況だけに、「知名度を上げるには、汗をかくしかなかった」(宮森氏)。初見ではやや入りにくい、雑居ビルの地下1階という立地もあって、「チラシ配布とプラカードでひたすら来店を呼び掛けた」という。
5月5日の開店を目指したが、工事が予定通りに進まない。「スタッフも工事に加わって、どうにか間に合わせた」(宮森氏)。全員が疲れ切って眠り込んでしまい、目が覚めたのは、開店のわずか1時間前だった。
あわてて準備を始めようとしたところ、店の前には長い行列。「開店特価の1皿55円セールも来店を呼び込んだ」(宮森氏)。新宿でのデビューは華々しい大にぎわいとなった。

看板メニューの「ロースカツカレー」
以後もチラシ配りを続け、黄色い宣伝カーも走らせた。宣伝を終えて、倒れ込むように店へ戻ってくるスタッフの姿を見て、近所の人たちの態度が変わった。足しげく食べに来てもらえるようになり、知り合いも紹介してくれた。「周りの人たちから応援してもらえるようになって、勢いが加わった」(宮森氏)。
次の弾みになったのは、秋葉原への進出。たっぷりの食べごたえや珍しい味わいなどが受けたのか、「ブログや掲示板で支持を発信してくれる人が相次ぎ、アキバ系の食べ物として人気が広がった」という。今も秋葉原エリアには新宿の3店舗に次ぐ2店舗を構えている。
最初のゴールは早くも第1号店オープンから3年後に訪れた。07年5月に念願のニューヨークへ進出。「ニューヨーク」に戻るという創業時の思いを形にした。ニューヨーク州には今や9店舗が誕生していて、米国における「金沢カレー」文化の一大拠点となっている。しかし、右肩上がりの成長ペースはそう長くは続かなかった。