就活と失恋で気づいたダメな自分 LIFULL起業の原点
LIFULL社長 井上高志氏(上)
キャリアの原点人生をかける仕事としては不動産に照準を絞った。商社や金融より「手触り感」があると思えたからだ。そして起業までの修業の場として、リクルートコスモス(当時)の門をたたいた。
ところが入社してわずか3カ月後、バブル崩壊により、リクルート本社の求人広告部門への転籍を命じられた。すっかり出はなをくじかれたが、学べることは全て学ぼうと仕事にまい進した。心がけたのは、徹底的にクライアントの立場に立つこと。それがベストだと判断すれば、自社だけでなくライバル社のサービスも併せて使うよう提案した。そうしてアンチリクルートだった会社からも新規契約をとりつけ、営業成績はトップに。人生で初めての1番。誠意を尽くして信頼を得れば、利益は後からついてくると知った。そして宣言通り、入社から4年あまりたった95年に独立した。
売り手と買い手の情報ギャップに憤り
あたためていたビジネスモデルは、大量の不動産情報を誰もが自由に検索できる新しいシステムの構築。わずか3カ月のリクルートコスモス在籍中に見聞きした不動産業界の不透明な側面とそれに対する憤りがヒントになった。
「例えば新築マンションのモデルルームで、実際には2割ぐらいしか売れていないのに、お客さまを焦らせるため8割の物件に成約を示す赤いバラをつけていたりする。申し込みが複数あった場合も『厳正なる抽選で決定します』と言いつつ、抽選日を誰も来られない平日の早朝に設定して、お客さんの年収条件などを比べて、このお客さんは年収が高いからもっと高い物件に割り当てよう、なんてことが当時の不動産業界ではまかり通ってしまっていました」
なぜそんな不利な立場で一般消費者は「一生に一度」ともいえる高価な買い物をしなければならないのか。怒りが湧いた。そして原因は不動産のプロと一般消費者の間の情報の非対称にある。これを解消するのに、勃興してきたインターネットが使えると考えた。
だが時はウィンドウズ95発売前夜。ホームページビルダーのソフトもなく、ウェブサイトは自分で作るしかない。それなのにパソコンをまともに触ったことすらなかった。駅前の大型書店をのぞいてもその手の本は2冊しかなく、うち1冊を買って、人さし指1本でキーボードを打った。画像なども見よう見まねで自分でデザインした。どうにかサイトのプロトタイプができ上がったのは3カ月後。その後は学生バイトを雇い、秋葉原で買った部品で独自サーバーを作った。
「でもそれが3時間おきに落ちるんですよ。まるで生まれたての赤ん坊のミルクをやるようにしょっちゅうチェックしなくてはならなかった。睡眠時間は毎日2時間くらい。でもめちゃくちゃ楽しかったです。業界に対する義憤から勝手に正義感を持って始めたので『俺が休めば世界が1日遅れる』くらいの気持ちでしたね。700万円近くあった年収はゼロ。100万円あった貯金もマッキントッシュのパソコンとプリンター、スキャナーを買ったら70万円が消えて、前年度の収入にかかる25万円の税金を払ったら、スッカラカン。失うものは何もありませんでした」
もう一つ、当時の井上氏を勇気づけたものがあった。京セラや第二電電(現KDDI)の創業者、稲盛和夫氏の著書だ。人生で初めて社長という「長」がつく役につき、「リーダーとは何か、経営とは何か」を知りたいと本を読み漁る中で、稲盛氏の説く「利他の精神」に深く共感した。
自分としては正義感で立ち上がったものの、心の片隅に、ビジネスとして利益を出すことと、世のため人のためになることを両立させるのは難しいのではないかという疑念もあった。だが一代で数兆円の企業グループを作り上げた稲盛氏が「経営においてもっとも大事なものは利他の心だ」と繰り返し述べている。当時は「利他なんてきれいごとにすぎない」などと冷ややかな目で見る風潮もあったが、この時、井上氏は「利他」を自身の経営のよりどころと据えると決めた。