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文科省では幼児教育などを担当。入省7年目からUCLAの公共政策大学院に2年間留学し、修士号を取得した。

UCLAでは教育経済学を中心に学び、その後の政策立案に生かした

UCLAでは教育経済学を中心に学び、その後の政策立案に生かした

教育経済学を中心に学びました。特にデータの裏付けのあるエビデンスに基づいて政策を作るいわゆるEBPM(エビデンス・ベースト・ポリシー・メイキング)が日本は遅れているので、米国の先進例を学ぼうと思っていたのですが、いい意味で期待を裏切られました。

日本は政策を作るベースとなるデータ自体が整備できていないのが問題ですが、EBPMが徹底している米国では、逆にデータ万能主義に陥り、数字がないと政策が作れないというジレンマが生じていることを知りました。

例えば、米国では連邦政府が教育の経年比較をするために州に標準テストの実施を義務付け、目標値に届かない学校は改善計画を提出しなくてはなりません。標準テストがあるのは点数化が容易な国語と算数ですが、実際、何が起きたかというと、国語と算数の点数さえ良ければ学校はこれまで通り存続できるので、多くの学校がアートや体育、家庭科、道徳などの時間を減らしてしまい、学校教育が非常に貧弱になってしまったのです。

つまり、合意形成のためにはデータがあった方が説得力があるのですが、そもそも取れるデータには限界があるし、データ化できない教育成果を見落としてしまう危険性があるのです。

数字がないと政策が作れないとなると、機動力も弱くなります。例えば、日本のような学校給食の仕組みが素晴らしいとわかっていても、米国では給食が子どもたちの健康を向上させるという明白なデータが取れないという理由で導入できていないといいます。

幼児教育の無償化も実施すべきだという議論は根強くあるものの、投資に見合うだけの学力向上をデータで実証できないために、なかなか実現できないそうです。私が「日本では、データがなくても政治的なプロセスの中で必要性が認められれば政策が実現する」と説明すると、アメリカ人からは「うらやましい」と言われました。

必要なデータをとって政策立案に生かしていくことはとても大事だけれども、数字だけでいい政策が作れるわけではなく、政策形成のプロセス自体をきちんと分析することが重要なのだと気づけたことは、留学の大きな成果でした。日本の政策プロセスを客観的に見て再評価できたことも良かったと思います。

もう1つ個人的にプラスだったのは、長女が現地の小学校で学ぶ機会を得られたことです。UCLAの教員や学生の子どもたちが多く通う学校で、出身地は70カ国近く、人種も多様で「両親がお父さん」という子もいました。ダイバーシティとは何かを親子共に身に染みて感じられたのは本当に得難い体験でした。

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