ノーベル賞バナジー氏 「途上国にワクチン」世界救う
マサチューセッツ工科大学教授 アビジット・V・バナジー氏(上)
ニューススクール世界は思っているほど悪い場所ではない
佐藤 『絶望を希望に変える経済学』は、日本を含む先進国の人々が、社会的弱者や発展途上国の人々を思いやるきっかけになっていると感じますか。
バナジー そう願っています。人々は必要以上に世界の未来に対して猜疑(さいぎ)の目を向けていますが、私たちが数々の実験結果や研究結果を通じて伝えたかったのは、「世界は思っているほど悪い場所ではない」という事実です。経済学者はしばしば世界の様相を偏ったフレームワークにはめてとらえようとしますが、人間にはもっと他者に対して思いやりをもてる可能性もあるのです。
たとえば周りの人や知らない人から思いのほか優しくされた経験は誰にでもあるでしょう。私は経済学を通じてこうした人間のもつ良い部分に訴えかけたいと思っているのです。そしてそれは実現可能だと信じています。
人間が人間らしく生きられる世界を実現するために不可欠なのは優れたリーダーです。しかし残念ながら現代の政治的リーダーは国民の良心よりもむしろ私益に訴えることばかりに執心しています。パンデミック下のいま、経済学者として伝えたいのは、政治家の発言や世論にまどわされないでくださいということです。一人ひとりが「なぜこれほどおかしな世界になってしまったのか。他人に対して攻撃的になり、周りの人と協力できないような状況になっている原因は何なのか」という問いについて真剣に考えてほしいと思います。
過去20年間を振り返ってみれば、国際社会は課題解決の過程で数多くの失敗もしてきましたが、大きな前進をした分野があったのも事実です。乳児死亡率、妊産婦死亡率は劇的に低下し、貧困率も改善されました。これらの数字は世界の未来のすべてを悲観的にとらえる必要はないことを示しています。私たちが著書を通じて何よりも伝えたかったのは、こうしたエビデンスから導かれる希望なのです。
マサチューセッツ工科大学(MIT)教授。専門は開発経済学と経済理論。1961年インド・ムンバイ生まれ。81年コルカタ大学卒業。83年ジャワハルラール・ネルー大学大学院修了後、88年、ハーバード大学にて博士号取得(経済学)。2009年インフォシス賞受賞。19年、「世界的な貧困を削減するための実験的なアプローチ」が評価され、マサチューセッツ工科大学のエステル・デュフロ教授らとともにノーベル経済学賞受賞。デュフロ氏との共著に『貧乏人の経済学』『絶望を希望に変える経済学』などがある。