変わりたい組織と、成長したいビジネスパーソンをガイドする

そこでまず、クリエイティブセンターで、プロダクトにとどまらず、ブランディングやUIの視点で、デザイナーが、思い思いに描いたモビリティの理想形を1冊にまとめた「ビジョンブック」をつくりました。ソニーが目指すべき方向性をつづったカタログのようなものです。それを元に、どこへ向かうべきかなど、さまざまな対話をスタートさせました。従来はなかった手法で、何よりも目指す姿、あるべき姿を可視化することを重視したいと考えました。

――プロダクトデザイナーを目指したきっかけは。

中学・高校のころからアニメやSFが大好きで、メカ設定資料や美術設定に夢中になっていました。アート系のフランス映画なども好きでしたね。横浜にある聖光学院という進学校に通っていたので、周りに美術大学の志望者もほぼいなかったこともあり、当初は一般の大学へ進もうと考えました。ところが受験に失敗し、浪人が決まった際、改めて考えると「やはり自分はアートの領域で勝負したかったのだ」と気づき、そこから美大受験に切り替えました。当初は映像などのグラフィックデザインを学ぼうと考えていたのですが、唯一、合格した多摩美術大学のプロダクトデザイン専攻に進むことになったので、正直、目指してプロダクトデザイナーになったのではありません。

入学当初は基本的な課題が多くてつまらないと感じていました。デザインの勉強を本格的に始めたのは浪人してからなので、スキルがついていかなかったのもあったかもしれません。ただ3年になると、いろいろなコンテクスト(文脈)を混ぜ込んだプロダクトデザインをする課題が多くなり、がぜん楽しくなりました。単にプロダクトだけでなく、ちょっとしたコンセプトビジュアルや、キーワードを織り交ぜられるようになって、やっと自分の表現力に自信がついてきました。

SF映画「ブレードランナー」などのプロダクションデザインを手掛けたシド・ミード氏(右)と念願の対面を果たした石井さん(左)=2018年6月、米ロサンゼルス ソニーグループ提供

SF映画「ブレードランナー」などのプロダクションデザインを手掛けたシド・ミード氏(右)と念願の対面を果たした石井さん(左)=2018年6月、米ロサンゼルス ソニーグループ提供

就職先にソニーグループを選んだのは、やはりデザインをやるならソニーだろうと考えたからです。

最初に手がけたのはビデオカメラの「ハンディカム」でした。横に開いた液晶画面を180度回転させて自撮りができる最初の機種をデザインしました。液晶が開閉し回転する機構を設計者に提案し、実現しました。当時この分野は競合他社が全盛で、ソニー独自のスタイルを提案することが求められていました。新人だったので、国内のメインではなく、海外向け商品担当だった設計チームと悩んで何とかそれに答えようとした結果でした。

クリエイティブセンターには、商品企画や設計が動き出す前に、自分たちで考えた理想のスタイルを提案するという文化があります。ポータブルミニディスク(MD)プレーヤー「MDウォークマン」で採用されたスティック型コントローラーも、そうした提案から実現したものです。UIとプロダクトの操作性の融合を強く意識してデザインしたもので、それは現在の「VISION-S Prototype」にも連なる私のテーマです。

1回目のロンドン赴任で「空回り」

――キャリアの転機となった出来事はありますか。

1999年から2002年までイギリス・ロンドンに赴任、欧州デザインセンターでテレビやオーディオ機器を担当しました。そこで、結構挫折しまして。上司や周囲と全く意見があわず、完全に孤立気味になってしまったのです。日本でバリバリやってきた自信があり、個人プレーにちょっと酔っていたのかもしれません。欧州のデザイナーは自己主張が強いと勝手に思ってしっかり自己主張モードで入っていったのですが、むしろ、組織としての命令体系を重視するので、空回り状態で、「あれ」って感じになってしまって。つまりチームでの仕事の仕方がわかってなかったのです。振り返れば、組織人としては失格だったと思います。

――どうやって克服したのですか。

そのときは克服どころかちゃんと認識すらできず、帰国してからもずっとわだかまりがありました。時間がたつにつれて、「周囲とのコミュニケーション能力に欠けていたな」と徐々に認識しました。そうしたなか、2010年から15年まで、再びロンドンに赴任することになりました。こんどは部下が数人いるプロダクトのデザインマネージャーとしてです。赴任にあたり、まず考えたのは「前回の失敗を挽回したい」ということでした。

欧州デザインセンターにはイギリス人、ドイツ人、スペイン人、フランス人など、さまざまな国籍のメンバーがいます。「彼らとしっかりとしたチームをつくらないと駄目だ」と強く意識していました。心がけたのはいわゆる「ホウレンソウ」的なコミュニケーション。ちゃんと報告して、連絡して、相談して、仕事をすること。社会人の基本ですよね。普通のことを普通にできるようにと。また、プロジェクトがダメな時の理由や、よかった時の理由も明解にチームに説明するようにして、チームコミュニケーションに気を使いました。

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