ソニーのデザイン責任者 海外での挫折から学んだこと
フロントランナーの履歴書仕事のやり方の転機になったのがヒット商品となったヘッドホン「MDR-1R」シリーズの開発プロジェクトです。当時、様々なオーディオメーカーが完成度の高いヘッドホンを出してきて、「何とかしなくてはならない」との思いから欧州でのソニーのオーディオの立ち位置を徹底的にリサーチすることから始めました。デザインだけでなく、音づくりにまで立ち戻り、現地のマーケティング担当者に加え、東京の音響設計と企画の担当者をロンドンに呼んでワークショップを開きました。さらにロンドンのミュージシャンも交えて、デザインスケッチを見せながら、現行機種の音質まで含めて徹底的に議論して、リアルなユーザーの意見を反映し、どこへ向かうべきかというビジョンをつくる、というやり方に取り組みました。

ソニーグループ クリエイティブセンター センター長 石井大輔さん
デザインスケッチを社外に見せるなんて、それまでやったことがありませんでした。音づくりの領域や、ものづくりの在り方を根本的に見直し、ブランドをどうやってお客さんに伝えていくのか、といったところまで、かなり踏み込んで話ができたのかなと思います。当時はソニーが一番厳しいときだったので、私たちも必死でした。そういったブランド視点でものを考える経験が「VISION-S Prototype」にも生きたのかなと思います。
――ロールモデルとする人いますか。
あえて言えば、私とは、はるかに立場が違いますが、やはりソニーのデザイン室の創設者であり、社長・会長を務めた大賀典雄さんでしょうか。「2年先3年先の、お客さんの心の琴線に触れるものをつくろう」という視座は今でもその通りだと思います。「プロダクト単体で語るのではなく、ブランドを体験として語ろう」という視点も、やはり我々、クリエイティブセンターの人間として引き継いでいかなければならないと考えています。
デザイナーのあるべき姿「絶えず自己修正」
――プロダクトデザイナーの仕事とは具体的にどのようなものですか。
ほとんど、図面をつくる仕事です。機構や構造の提案も含めて、ここをこう変えればもっと薄くできるのではないかとか、この構造にしたら使いやすくなるかとか、シンプルになってコストも安くなるとか。実はプロダクトの全体を見ることがデザイナーの役割でもあります。
――デザイナーとしての仕事の魅力は何ですか。
やっぱり素晴らしいものができたとき、「もう絶対これ、人の心に刺さるな」とわかるというか、ドキドキするんですよね。自分でデザインしたものだけでなくても、自分がディレクションで関わっただけでも、他のデザイナーの仕事でもそれがわかる時は同じです。デザイナーだったら誰もがそうだと思うのですが、「今、これは、すごいモノができてる!」っていうときのワクワク感って半端ないですね。今回の「VISION-S Prototype」もそうでした。これが出たらびっくりするだろうなと。人の心を揺さぶる瞬間を思うと、やはりそこはもうニヤニヤしてしまいます。
――デザイナーに求められる資質とは。
難しいですね。美大の受験には、デッサンの練習を相当な数こなすのですが、デッサンって自分が描いたものを客観視しないとできないんですよね。石膏(せっこう)像をどれだけ正しく描けているのか、自分で自分をチェックしないといけないんです。つまり、常に自分の中に絶えず、もう1つ別の視点を持って、自己修正しなくてはなりません。それは商品デザインやUI/UX、コミュニケーションデザインも全部同じで、人が見てどう思うのか、どう見えるのか、どう感じてくれるのか、何が伝わっているのか、何がうまく伝えられていないのか、自己確認しなくてはいけません。
私たちはよく「デザイン審議」というディスカッションをします。このデザインがちゃんと伝わるものになっているのか、機能的に正しいのか。そのとき、人の意見をまず受け入れ、さらに自分の中で消化しなくてはなりません。自分の中にストーリーをつくって伝えていく、というのがやはり一番の才能で、そのためにいろいろなバリエーションをつくり、いろいろなスタディーをし、いろいろな人から話を聞いて、ちゃんと伝わっているのか、きちんと確認しながら進めていかなくのが、デザインの仕事であり、デザイナーに必要な資質かなと思います。
――アーティストとデザイナーは違いますか。
アーティストがコンセプトを徹底的に突き詰めて作品にするのに対して、デザイナーはいろんな人の考えだったり、トップマネジメントの思いだったり、設計者の思いだったり、そういったものをユーザーに伝えるいわば翻訳者のような作業が必要です。つまり、コミュニケーション能力がすごく重要で、時にはデザインのコンセプトより、人々の考えを正しく伝えることの方が重要なのだと思います。それと同時に、やはりもちろん、自分自身の審美眼、単純に奇麗なもの、シンプルなもの、研ぎ澄まされたもの、本質を追究することが必要なのだと思います。ちょっと偉そうかもしれませんが。
(平片均也)