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一方、15世紀の終わり頃以降に登場する欧州の日本図からは「都と、中世末・近世初頭に有力な海港があった地域の名称が記されていること」が注目できます。都と山口・秋田・豊後・薩摩、大琉球が書かれた1594年刊の「ブランシウス世界図」。欧州人から見た日本は首都(みやこ)があり、海外交易の拠点で構成された島国だったと推測されます。

それぞれの日本図に表現されたのは、都をはじめ国々の位置と名称、守護大名あるいは戦国・近世大名の所在地、そしてそれらの城下が主要な対象であったが、港湾都市などのよく知られた町なども標記された。これらが日本の成り立ち、あるいは構造を示していると思われたものであろう。
(第1章 国土をどのように認識してきたのか――日本図を読む 53~54ページ)

このように著者は言い、「古代中世における国土の基本構造の形成とその後の大きな変化」を追いかけていきます。最初に考察されるのが宮や都の移動、次に考察されるのが城の移動です。7世紀半ばから平安京に落ち着くまでの都の移動をたどると、内陸水運への接近という志向性が底流に流れていたことが見えてきます。日本の国土構造は、こうした交通との関わりが大きく反映していると見ることができます。

京都にもあった水上交通との結びつき

城の移動からも交通との関わりが深まっていく様子が見てとれます。そこで、宮と都の移動と城の移動を追いかけたあと、最終章の第5章では都市がどのように交通と結びついていったかについて、古地図を題材にたどっていきます。とりわけ力点を置いているのが水上交通との結びつきです。

港湾都市といえる堺、博多、長崎、新潟、大分、高松を取り上げたあと、江戸、大坂、京都の3都の水運との関わりを見ていきます。内陸都市の京都と水運の結びつきなどは、鉄道、自動車、航空機などでの移動が当たり前になった現代人からは、たいへん新鮮に映るのではないでしょうか。運河や船着き場、荷揚げ場を抱えた都市構造も同様です。

終章の終盤で著者は次のようにまとめています。

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