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では、ニュートンとはどんな特徴を持った商品だったのでしょうか。それは、一言で言えば通信機能を持った手書き入力可能な電子手帳。まさにiPhoneやiPadを先取りしたような商品でした。

93年8月2日、ついに期待の新製品「ニュートン・メッセージパッド」は、発売されました。販売価格は699ドル~949ドル。87年の構想から6年の期間を経て、画期的な新商品が世の中に出たのです。

PC事業の不調のあおりを受ける

ニュートンは、大きな注目の影響で、販売直後は1週間足らずで数千台を受注するという上々のスタートを切ります。しかし、すぐさま予想外の事態が起きました。スカリーのCEO退任です。主力であるパソコン事業が競合との価格競争に後れを取って赤字に転落し、それを受けて、ニュートンばかリに注力していたスカリーに批判が集中したのです。

ニュートンは販売直後のタイミングで、最大の後見人であり支持者である人物を失ったのです。

そして、ニュートンの売り上げも伸び悩みます。94年1月までの出荷台数はわずか8万台。それまでにかけた開発コストや期待感を前提にすれば、この数字は無反応とも言うべき状態でした。価格を引き下げても市場は反応せず、スカリーを継いでCEOとなったスピンドラーは、「ニュートンの売れ行きは期待外れだ」と発言するほど。4月には、PDAの事業責任者であったガストン・バスティエンズが売れ行き不振の責任を取る形でアップルを退社します。

ではなぜ売れ行き不振だったのでしょうか。

まず売りだった手書き文字の認識機能が不十分だったことが挙げられます。ニュートンの手書き入力は学習機能(書き手の癖を認識し、文字を予測する機能)を持っていたため、使い込むことによって認識力が高まるのですが、それだけに店頭では認識能力は低く、購入を躊躇(ちゅうちょ)させることにもつながりました。中途半端な手書き入力は、キーボードと比べてストレスがたまるものだったのです。

さらに、本体価格こそ抑えられていますが、電話回線と接続するモデムなどもそろえると、ゆうに1000ドルを超えます。家電の相場観からすれば割高であり、決して気軽に買える金額ではありませんでした。

この第1世代の販売不振を経て、アップルは95年1月に、第2世代機種「ニュートン・メッセージパッド120」を販売します。従来機種と価格は同水準ながら、手書き入力機能の向上、そしてネットワークへの接続機能の拡充で、巻き返しを図ります。しかし、ここでも市場は反応しませんでした。

この当時、アップルはニュートンどころではありませんでした。さらなる「マック離れ」の深刻な状況に陥っていました。結果としてニュートンは放置されてしまいます。

96年2月には、スピンドラーに代わってギル・アメリオがCEOに就任。アメリオが、パソコン部門の立て直しの一環としてOS開発の外部パートナーとして白羽の矢を立てたのが、アップルの創業者であるスティーブ・ジョブズ率いるネクスト社でした。

96年12月、アップルはネクストの買収を決定し、ジョブズはやがてアップルの経営に返り咲くことになります。すでにアップルの「お荷物」だったニュートンは、ジョブズの仇敵(きゅうてき)スカリーの遺産でもあります。ジョブズにとってニュートンをアップルに残しておく理由はありませんでした。

97年5月、アップルはニュートン部門をニュートン・インクとして分社化し、パソコン分野にリソースを集中させることを決定します。そして、98年3月、とうとうアップルはニュートンの開発を打ち切ると発表します。一部の根強いファンから惜しまれた開発中止宣言でした。

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