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このような状況下で東大の医師だった冨田兵衛さん(MRT会長)らが、医師の人材紹介サービス会社を立ち上げたのだ。同社の取締役7人のうち5人が医師。社長の小川さんも医師で、現在も土・日曜日は診療にあたっているという。経営者と医師の二足のわらじをはく小川さんの半生を振り返った。

小川さんは経営者と医師の二足のわらじをはく

小川さんは経営者と医師の二足のわらじをはく

三重県鈴鹿市の出身。地元の公立高校に通ったが、高校3年になるまで医師になる気はなかった。「それどころか、勉強も好きではなく、高卒で就職しようかと思っていたぐらい」と語る。転機となったのは高3の夏休みにボーイスカウトの日本代表として米国を訪問した時だ。ホームステイ先の米国人が医師だった。「そこで医者に憧れ、9月から猛勉強を開始したが、受験には苦労した」という。

1度は諦め薬学部、医学部に再受験

実家は金銭的な余裕がなく、私立の医学部という選択肢はない。浪人して一度は諦め、薬学部に進学した。しかし、医者への思いは断てなかった。何とか大分医科大学(現在の大分大学医学部)を再受験し、合格。02年に医師免許を取得した。

大学病院は一種の徒弟制度。外科や内科など各医局の教授をトップにした縦社会だ。「何でもやれる医者になりたい」と初期研修では母校の大学医局に所属せず、各科を回るローテーション制度がある三重県内の病院に移った。2年間ほぼ毎日当直。昼夜の境もなく、医学を現場で学んだ。

そこで救命救急(ER)の専門医になる決意をした。長時間勤務に陥りやすく、一瞬の判断で人の生死を分けるERは医師にとって最も過酷な職場と言われる。「同僚の医師はみんな優秀で、灘高や東海、ラサールなど進学校出身の秀才ばかり。論理的思考能力ではかなわない。ERにはやりがいを感じたし、瞬発力が勝負なので自分には向いていると思った」という。

ERの専門医になるには通常では7~10年、最低でも5年はかかる。ERの先進病院として知られる大阪府の千里救命救急センターに入った。日本初の365日24時間稼働のドクターカーの運用を開始したことで有名な病院だ。必死に働き、何とか5年でERの専門医の資格を獲得した。

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