「女子御三家」に並ぶ豊島岡、滑り止め校が理系で飛躍
豊島岡女子学園中学・高校の竹鼻志乃校長に聞く
学校のリーダーもともと進学校ではない 女子裁縫専門学校として誕生
医学部以上に理工系の好きな生徒が多い。21年の進学先は理工系が33.9%でトップ。次に医学系が16.5%で、理系全体では6割を超す。東京工業大学に12人が合格し、女子校では全国トップの実績だ。
15年度に「T-STEAM」と呼ぶモノづくりプロジェクトをスタートした。初年度はホンダなど企業の協力を得て、電磁気力を利用した「クリップモーターカー」作りに挑んだ。近隣の男子校などにも参加を促し、コンテスト形式で成果を競った。「医学部を受験する生徒も生物より物理を選択する方が多い」という。
ただ、豊島岡はもともと進学校ではない。1892年に女子裁縫専門学校として生まれた。その後、医学者の二木謙三、友吉、歴史家の謙一の親子3代が校長を務めるなど学校経営を担った。進学重視に舵(かじ)を切ったが、1980年代までは埼玉や都内の公立高校の滑り止め校だった。第1志望に失敗し、自己肯定感に乏しい生徒が集まっていた。

大学通信調べ。◎印は私立、無印は公立を示す。合格者数は各高校への調査などから集計した。校名は現在の名称。
実は82年に同高に入学した竹鼻校長もそんな生徒の1人だった。「なぜ自分が志望校に落ちたのか、信じられなかった」と泣く泣く入学。しかし、もう一度勉強と向き合い、筑波大学に進学。遺伝子工学を専攻した。味の素の研究所に入ったが、同校の創立100周年のパーティーに参加した際、当時の二木友吉校長から「生物の先生の椅子が空くよ」と誘われ、93年に母校の理科教員になった。
豊島岡の飛躍の原点は89年に中学校の入試日を2月2日に変更したのがきっかけと言われる。桜蔭や女子学院など難関女子校の入試日は2月1日に集中している。2日に入試日をずらし、併願先となることで学力の高い生徒を集められる。しかし、危険な賭けでもあった。中学受験で第1志望に失敗した生徒は極度に自信を失い、バーンアウト(燃え尽き症候群)のような状態に陥るケースもある。
「もう一度、前を向かせる。これが大変だった」と竹鼻校長は自身の経験を踏まえて振り返る。そこで学校行事を生徒主体の運営に変えることにした。「自分たちで考え、一緒に企画し、実行すれば、学校は楽しい場所になる」。行事以外にもモチベーション(やる気)を高める仕掛けを作った。