頓挫寸前の案件でリーダー志願 GPTWママ社長の気概
GPTWジャパン代表 荒川陽子氏(上)
キャリアの原点「とても要求水準が高い上司で、やることなすことすべてにダメ出しをされ、どうしていいかわかりませんでした。そのうちストレスとプレッシャーによるメンタルの不調が体にも出てきました。オフィスがあった品川駅で降り港南口のコンコースを歩いていくにつれ、どんどん耳鳴りがひどくなるんです。本当にあの頃はつらくて、転職も真剣に考えていました」
しかし、先輩や同僚に助けられ、やがて上司も代わり、どうにかこうにか切り抜けた。この時の経験は、自身が管理職としてマネジメントする立場になった際に、メンバーそれぞれにとっての働きやすさや、やりがいはどこにあるのかを考えるきっかけにもなったという。
リーダーシップ不在、大型案件が空中分解寸前に
管理職に昇進して間もなく、受注した大型案件が暗礁に乗り上げるというピンチに遭遇した。会社は絶対にそのプロジェクトを成功させるべくエース級のコンサルタントを投入していたが、リーダーシップの不在でチームはギクシャクし、顧客企業からも不満が噴出していた。
「参加者全員が怒っているという最悪の雰囲気の社内会議に、私も営業マネジャーとして呼ばれたのですが、普段冷静な担当コンサルタントが机を叩き、時に涙を浮かべながら、『ふざけるな』と怒っていました。このままでは数千万円近い案件が吹っ飛んでしまう。それだけではなく、クライアントから損害賠償請求をされるかもしれないという、まさに空中分解寸前の状況です。そこで私は無我夢中で『私がこのプロジェクトのリーダーをやります。全責任を取ります。すべての会議を仕切り、顧客企業に対しても最前線で体を張るので、なんとか踏みとどまってください』と頭を下げました」
「そこからの3カ月は、メンバー全員がそのプロジェクトにかかりきりになり、私自身も終電にギリギリ駆け込んだり徹夜したりの毎日でした。でも最終的には、顧客企業の役員から『あなた方に任せてよかった』と言ってもらえ、プロジェクトに関わったメンバーも満足できる結果となりました。自分が顧客の前面に立ち切って、メンバーにプロとしての力を最大限発揮してもらえたというこの経験は、マネジメントに関して大きな自信になりました」
その後、プライベートでは17年に出産し、母となった。日本では産休・育休を機にキャリアが一旦足踏み状態となる「マミートラック」にはまる女性が少なくないが、荒川氏の場合、子どもを持ったことが逆に社長へと飛躍する転機になったという。
一体どういうことなのか。後半では、荒川氏が育休復帰から社長に立候補するまでの経緯、さらに就任後の会社のかじ取りや、ママ社長としてのタイムマネジメント術について紹介する。
(ライター 石臥薫子)