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入学した四天王寺中・高は、神戸女学院、京都女子と並ぶ「関西女子御三家」として知られる進学校。校舎は聖徳太子によって建立された日本最古の寺、四天王寺の境内に建つ。学園訓も「和を以(もっ)て貴しとなす」など聖徳太子の「17条の憲法」に準拠している。

女子校ゆえに「男子だから、女子だからというジェンダーバイアスから無縁でいられた」と振り返る

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四天王寺中・高は、自宅から徒歩20分と一番近かったのでなじみがありました。うちは姉も妹もそろってこの学校なんです。地元では、進学指導に熱心で医学部に進む生徒が多いことで知られていますが、中学から入ると6年ありますから、勉強ばかりではなく合唱コンクールなどの行事も楽しみながら、深い友人づきあいができたと思います。

今はわかりませんが、当時校則はかなり厳しかったですね。制服のリボンをきちんと結んでいないだけで、罰として写経させられたり……。でもおしゃれをしたい年ごろですから、ピアスの穴を開けたり茶髪にしたりする子もいて、私もちょっと染めてみたりしていました。頭髪検査の時はみんなで黒いスプレーを使ってごまかすのですが、私は髪がもともと少し茶色っぽかったので、中1でもらった「赤毛証明」を水戸黄門の印籠のようにかざして「地毛です」と言い張っていました。

聖徳太子と深い関わりのある学校なので、週に1コマ「仏教」という科目がありました。何を学んだのかは今となってはほとんど覚えていないのですが、内申点がつかない唯一の科目だったので、生徒にとっては「憩いの時間」でもありました。私はこっそり本やマンガを読んでいたんじゃないかな。その頃(マンガの)『ワンピース』が流行っていて、他に『天(そら)は赤い河のほとり』や、ちょっと古いところだと『タッチ』なども友だちと回し読みしていました。

勉強で得意だったのは数学、化学、物理などの理系科目。逆に苦手だったのは体育です。小学校の時は背が高い分、足も長いので、かけっこもそれほど遅くはなく、運動神経の悪さはあまり目立たなかったのですが、中学に行った途端にもうごまかしが利かなくなりました。

特に球技がまったくダメで、バレーボールの授業ではサーブがクラスで1人だけネットを越えることができず、先生から「このままだと僕と君だけ夏休みに補講に出てこなくちゃいけない。お願いだから越えてくれ」と懇願されたほど。中学はセーラー服だったのですが、体育を一生懸命やる気がそもそもないので、「着替えるのも面倒だし、冬は寒いし」とセーラー服の上に体操服を着て授業に出たりしていました。

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