「ほんとうの定年後」に迫る データが語る仕事の実態
紀伊国屋書店大手町ビル店
ビジネス書・今週の平台ビジネス街の書店をめぐりながら、その時々のその街の売れ筋本をウオッチしていくシリーズ。今回は定点観測している紀伊国屋書店大手町ビル店だ。新型コロナウイルス第7波の影響と夏休みなども重なって来店客の戻りは鈍いが、店全体では文芸書や旅行書が伸び、回復基調が続く。ビジネス書も定番の業界研究ムックの出足が良く、今後の売り上げ増に期待がかかる。そんな中、書店員が注目するのは定年後の仕事の実態をさまざまなデータと実例から浮かび上がらせた新書だった。
小さな仕事で豊かな暮らし?
その本は坂本貴志『ほんとうの定年後』(講談社現代新書)。著者の坂本氏はリクルートワークス研究所の研究員・アナリスト。厚生労働省出身で、内閣府で官庁エコノミストとして「経済財政白書」を執筆していたこともあり、三菱総合研究所エコノミストをへて現職に就いた30代の研究者だ。所属するリクルートワークス研究所の研究プロジェクト「価値変容プロセスから探る、定年後のキャリア」をもとに定年後の仕事の実態を明らかにしたのが本書だ。
「定年後の仕事の実態を丹念に調べていくと浮かび上がってくるのは、定年後の『小さな仕事』を通じて豊かな暮らしを手に入れている人々の姿である」。「はじめに」で端的に示されたこの結論が本書が描き出す「ほんとうの定年後」である。過度に困窮しているのでもなく、無為に過ごしているのでもなく、そんなに長くない時間を仕事に当てながら緩やかに社会とつながりを持ち充実して老後の日々を過ごす。そんな働き方だ。
構成は3部に分かれる。第1部が〈定年後の仕事「15の事実」〉。「年収は300万円以下が大半」「稼ぐべきは月60万円から10万円に」「デスクワークから現場仕事に」「6割が仕事に満足、幸せな定年後の生活」といった事実を、家計の収入や支出、仕事内容などに関するさまざまなデータから示していく。仕事に満足を感じている人の割合が50歳を底に定年後に急上昇するグラフなど、ちょっと意外な事実がデータでわかるのが魅力だ。

新書棚の端に設置した平台の中央付近に展示する(紀伊国屋書店大手町ビル店)
7人の事例で語る定年後の仕事観の変化
第2部は〈「小さな仕事」に確かな意義を感じるまで〉として、7人の定年後の就業者の事例を通して、年を取るにつれて仕事に対する姿勢がどのように変化していくのかを追う。
市役所で長く下水道関係や河川、道路などの仕事を担当し、定年後は市のあっせんで水道関係の会社に入り、下水道関係のトラブルを現場で解決する仕事に従事する人。「今の仕事は、一日の仕事が終わればもうそこで仕事は終わりです。市(役所)にいたときみたいに、次の日まで持ち越して悩むことは一切ないですね。そこがすごくいいんです」と朗らかに語る。私大職員として65歳まで再雇用で勤務し、その後包丁研ぎ職人として独立した人は「仕上げ品を直接手渡して、お客様に喜んでもらえた瞬間は最高です」と目を輝かす。
第3部で社会が定年後の仕事に対してどう向き合っていけばよいか、いくつかの論点を提示して締めくくる。「地域に根ざした小さな仕事で働き続けることで、自身の老後の豊かな生活の実現と社会への貢献を無理なく両立できる社会」。これが日本が今後目指すべき社会だと著者はいう。そんな思いを込めて副題も〈「小さな仕事」が日本社会を救う〉と付けている。
「この本への反応も早かった。定年後、老後というテーマはこの店では有力な売れ筋」と店長の桐生稔也さんは話す。
成田悠輔氏や楠木建氏の新刊が上位に
それでは先週のランキングを見ていこう。今回は新書のベスト5を取り上げる。
今回紹介した定年後の働き方の本が1位だ。2位には気鋭の学者としてメディアへの露出が目立つ成田悠輔氏が刺激的な論点を示して話題になった民主主義論が入った。3位は人気経営学者の一人、楠木建氏による仕事論。哲学書のようなタイトルと柔らかい仕事観のギャップが今働く人の心をとらえたのか、6月の刊行以来なお売れている。4位はベストセラー作家による世間を騒がせたニュースを通した人間観察記。こちらは8月刊で初速の反応がいい。同じく8月刊で、情報分析や防諜(ぼうちょう)活動で国家の意思決定を補佐するインテリジェンスの流れを日本の戦後に絞ってたどった一冊が5位に入った。
(水柿武志)