無尽蔵の経験を手元に
大和ハウス工業社長 大野直竹氏


大和ハウス工業社長 大野直竹氏
自分の人生は一つ。どんな人でも生きていくうちに一冊の本が書けるくらいのドラマやエピソードはありますが、一人の人生には限りがあり、森羅万象を経験するのは無理。自分の知らない世界を見せてくれるのが本です。その出合いは小学生時代から読み始めたミステリー、推理小説です。
コナン・ドイルの『シャーロックホームズ』シリーズや密室殺人で評判のディクスン・カーなどを学校の図書館で借りました。推理小説独特の、相手の心を読んでいく描写にどんどん引かれていったのを今でも鮮明に覚えています。
基本的には乱読するタイプですが、大学生のころ、「推理小説をもっと体系的に読みたい」と思っていた時に出合ったのが『推理小説ノート』でした。戦前から戦後までの名作リストが載っていて穴が開くほど読みました。この本からは推理小説と向き合う姿勢にとどまらず、実世界での人との対話の中から相手の気持ちを知るための心構えを、推理小説を通して教えてもらった気がします。
ホンダの創業者、本田宗一郎と名経営者、藤沢武夫の二人を通して同社を世界的な企業に押し上げていく過程を描いたノンフィクションです。著者は本田や藤沢の会話をまるでそばにいて聞いたかのように生々しく、そして詳細に描写しています。それだけでも感心するのですが、両者の言葉の対比が経営者の姿勢としてとても参考になります。
例えば、本田が「課長、部長、社長も包丁、盲腸、脱腸も同じだ。ようするに皆符丁なんだ。(中略)人間の価値とはまったく関係ない」と言えば、藤沢は「社長になると、元帥にでもなったつもりで威張りたがる人がいる。社長とは世の中で最も危険な商売だ」と語っています。本田の直感的な発言を藤沢がよりわかりやすく解説しているわけです。
創業者の精神は受け継いでも、手法は時代によって変えていかなくてはならない。この本は組織運営の要諦を教えてくれます。何度も読み返し、戒めとしています。
経営者として多くの人と会う機会はありますが、経営者や同じ年格好の人に偏りがちな面があったと思っていました。そんな時に出合った『定跡からビジョンへ』と『小澤征爾さんと、音楽について話をする』は新鮮に読めました。
前者は経営コンサルタントの今北純一氏とプロ棋士の羽生善治氏が経営の在り方を議論している内容。驚くのは経営には門外漢のはずの羽生氏の恐るべき好奇心、探究心です。分野の違う人が企業社会をどう見るのか。それに対する欧米のビジネス流儀に精通する今北氏の受け答えは知的なバトルのように思えました。後者は小澤氏と村上春樹氏の対談で、村上氏の中途半端でない音楽の知識に舌を巻きました。一流の人たちの社会に対する問題意識の深さは社会問題を解決すべき企業の使命に連なるものがあります。

『ローマ人の物語』は何度読んだかわかりません。やはり、人間を知ることは自分が生きていく上で必要なことだと思います。活字にはコンピューターグラフィックス(CG)のような派手さはありませんが、だからこそ思考を膨らませることができます。活字やその行間から思いもよらぬ衝撃を受け、新たな発見も生まれてくる。
人生を踏み外すことなくやってこられたのは多くの本に導かれてきたからだと本気で思っています。自分の力や人生だけではたぐり寄せることのできない経験を、本は無尽蔵に私の手元に届けてくれる。人生に近道はないのだから、どんな本からでも刺激をもらえるはずです。