ペットを「うちの子」は当たり前? 動物の不適切表現

日本最高齢のゾウ「はな子」の死、報道の表現に違和感
大勢の老若男女が集まり、献花台で花を手向け手をあわせる。そこは動物園だ。
映像とテロップだけが流れた後、2月に放送された「NHKドキュメント72時間」が6月10日に再放送された。
戦後まもなくタイから日本にやって来た巨大なアジアゾウ。日本の混乱も成長も繁栄も停滞も、淡々と檻(おり)の中から見守ってきた「はな子」に、自分の人生を重ねた人たちが少なくない。

在りし日の「はな子」(写真:PIXTA)
何度も園に通い、はな子に声をかけ、優しまなざしに癒やされる人たち。
ついに天に召されたはな子を、「単なる動物」を超えた「パートナー」のような「恋人」のような、時には「神様」のような存在だと感じる人にとって、亡くなった翌日の新聞の見出しは、ちょっぴり違和感を覚えたかもしれない。
一般紙の見出しは「死ぬ」という「ストレートな表現」でほぼ統一されていた。
「死ぬだなんて、生々しい表現に違和感がある。旅立ったとか、最低でも亡くなった、ぐらいにしてもらえないものだろうか……」
スポーツ紙ならもう少し「共感的表現」を使ってくれるかと思ったら、そうでもない。
・サンスポ「はな子死ぬ、国内最高齢69歳」
「死ぬ」を使わなかったのは、日刊スポーツの「ゾウのはな子69歳大往生」ぐらいか。
「ニュースなんだから、ドキュメント72時間のトーンと違って当たり前じゃないか?」
言われてみれば当然だ。報道機関が「動物の死を死ぬ」と伝えるのは何も間違っていない。ニュースには「迅速に正確にわかりやすく伝える責務」があるからだ。
日本新聞協会としては「死亡」「亡くなる」は"不適切"
日本新聞協会が発行する「放送で気になる言葉 最新版」も「誤用に気をつけたい言葉・亡くなられる」の項目に動物の死についての記述がある。