ペットを「うちの子」は当たり前? 動物の不適切表現
これは何も新聞協会が頑固で偏屈だというわけでは全くない。辞書だって「死亡」「亡くなる」は「人に対して使う」と明記したものが多い。
動物の死はそのまま「死んだ」を使うのが現代のスタンダードらしい。すなわちニュースでは、ペットを含む動物はあくまでも「死んだ」で、「死亡」「亡くなる」は"不適切"というわけだ。
新聞各紙はこの原則をきちんと守り「公正中立な報道」を心がけている。「えん曲で情緒的な表現は避けよ」と戒めるのはわからなくもない。
とはいえ、「動物はしょせん動物なのだから『死んだ』で十分。『亡くなる』などと、まるで人間みたいな表現は幼稚に過ぎる」と、そこまで言われるのだとすれば少々抵抗したくなる。
「うちの子」「おたくの子」
ここでちょっと本筋を外れる。
13年間人生を共にしている我が家の老犬を、「単なる動物」と認識することは私にとって、すでに難しくなっている。「うちの子」と言えば、成人した娘たちをいの一番に思い出さないと親としては考えものなのだが、今の我々夫婦にとって正直に言うと、まず目に浮かぶのは「13歳の老犬」だ。

「うちの子」、現在13歳のルルです(写真:梶原しげる)
こういう「ダメな親」が私のほかにもいなくもない。犬を飼う前は、犬や猫を「うちの子」という人を「ばかじゃないか?」とさえ感じていたが私が、気がつけばお隣近所のみなさんと「うちの子」「おたくの子」と言いながら、「犬や猫」の話題で盛り上がっている。
犬の高齢化が問題視されている。10数年前の「ペットブーム」で飼われ始めた犬たちは、人間でいえば後期高齢者もいいところだ。我が家もその典型的なケースの一つ。要するに私はミーハーだ。
「うちの子」「おたくの子」と仲良くしていた、犬の散歩友達の姿を急に見かけなくなることがある。転居であればいいが、「犬の死」をきっかけに引きこもりがちになる中高年が少なくない。「たかが犬」「たかが動物」とも言えない時代だ。