己の役割を知り全うする
大阪ガス会長 尾崎裕氏


おざき・ひろし 1950年生まれ。72年東大工学部卒、大阪ガス入社。取締役、常務を経て2008年に社長就任。15年4月から現職。日本ガス協会会長も務める。
論語には人間の集団、すなわち社会がどのような原理で動いているのか、その中で私個人はどう行動すべきかが書かれています。本質的なことを言う一方で、形式的なところや違うのではないかと思うところもあります。両面があることで自分も考えます。それが論語に限らず、本を読む醍醐味ではないでしょうか。
興味を持つきっかけは高校時代の受験勉強です。漢文が試験科目でなければ、論語のおもしろさに触れることもなかったと思います。漢文は短い言葉に意味が凝縮されています。勉強しているうちになるほどと思うものが出てきました。受験のための詰め込みであっても30歳、40歳になっても覚えています。
読み進める中で出合った言葉に「用行舎蔵」があります。孔子が弟子との対話で「之を用うれば則ち行い、之を舎(す)つれば則ち蔵(かく)る」と語ります。「任用されれば世に出て力を発揮し、必要がなくなれば身を引いて静かに暮らす」という意味です。自分の能力と役割を認識して力を尽くし、自分の時代が終わればさっと身を引くというのはすがすがしいものです。
経営者の役割は会社の継続です。人間は有限です。無限に継続させるにはバトンタッチが必要です。「ここは俺がやらねば」という時はありますが、世の中が変わろうとする時に必要とされるリーダーはきっと違います。退く時は大事です。このことをずっと意識してきました。
司馬遼太郎が描く人物にも用行舎蔵に通じるところがあります。『花神』の主人公、大村益次郎は蘭方医でありながら近代陸軍の創設に尽力しました。役割を全力で達成しながら日本全体の指導者になろうとは考えていない。自分の役目が終わるとさっと引くような人です。
『項羽と劉邦』では漢王朝を打ち立てる劉邦の下に多くの人が集まります。経営者が求めるべきは劉邦です。しかし、ひょっとしたら太く、短く生きた項羽の人生のほうが幸せなのではとも考えます。歴史的には敗者だけれども劉邦を世に出すという役割があったとすれば、それは歴史の必然だったのかもしれません。
用行舎蔵には続きがあります。「私ならもっとやれる」とばかりに主張する弟子の子路を孔子がたしなめます。孔子の弟子たちは多彩です。組織には「俺が、俺が」という人も必要です。孔子は子路を否定しているのではなく、それぞれの人がどこで力を発揮するかをわかって接する。集団を動かすための知恵です。

シェークスピアは大学の授業で触れました。英語の教材としては難しくても、戯曲は実際に演じるとまったく違う。演劇になると言葉が充実し、生き生きとしてくる。しかも舞台設定は中世から、シャツにジーンズで演じる現代風までどのようにもできる。これはおもしろいと全集を買い、全編読みました。
お気に入りは「夏の夜の夢」「ヴェニスの商人」、悲劇なら「オセロー」「マクベス」でしょうか。悲劇は強く、成功した人が追い詰められて孤立し、思考が先鋭化してやがて破滅していく。嫉妬や陰謀など人間に潜む業を描きます。
喜劇は読んだ後、明るい気持ちになります。喜劇では信頼できる人や友情のようなものが最後に助けてくれる。ほんの少しでも心を開ける人や信頼できる人がいれば悲劇にはならない。この有無で結論は大きく違う。シェークスピアはこうしたことが言いたかったのかもしれません。
数学が好きで、興味を持ち続けています。読み物としての数学の本も好んで買い求めています。『興奮する数学』は、懸賞金がかかっている数学の難問について解説しています。数学の教科書は無味乾燥でおもしろくありませんが、こうした本は理解の助けになります。
数学の世界は無限です。解き明かせていない問題がまだまだあります。その無限に挑むことが数学のおもしろさです。しかもロジックしかない美しさにひかれます。その積み重ねで解を求めていきます。仕事では完全な答えがでるなんてありませんが、高校数学程度の問題なら私でも見事な答えが得られますから。