「二焦点」で人間を探る
産業技術総合研究所理事長 中鉢良治氏


ちゅうばち・りょうじ 1947年生まれ。77年東北大院工学研究科博士課程修了、ソニー入社。取締役代表執行役社長などを歴任。2013年から現職。
本は置き場所がなくなるくらい学生時代から貪り読みました。一期一会だと思うので繰り返し読む、いわゆる座右の書というものはないです。ただ、強いて言えば心理学者、河合隼雄さんの『日本人のこころ』がそういう存在でしょうか。
1983年放送のNHK市民大学のテキストです。私は理系ですが、文系との間に位置する心理学の大家が考えることにひかれました。日本と欧米の違いについてでした。
河合は日本を「中空均衡型」、欧米を「中心統合型」の精神構造と定義し、説明します。欧米人は最も大事なもの(リーダー)を中心に据えて組織を形成しますが、日本人は中心にそれがなくても周囲が支える。というか強いリーダーは望まない。河合はそうした日本人の精神構造を神話を引用しつつ解き明かします。
例えば神社の社殿やほこらです。中はがらんとした空間であることも多い。日本には一番大事なところをわざと空けておく文化があります。
ただ、欧米人にはそれが理解しにくい。私もソニー社長の頃、欧米人とよく議論しました。どちらがいいということではない。ですが、それを理解し合うことが、グローバル化を進める上でとても重要です。
河合の本は全部読みました。河合になりたいと思った時期もあります。心理学を独学で勉強し、自腹で心理学講座のようなところにも通った。自分は理系の中だけにいるんじゃないぞという信念がありましてね。理系と文系の間をつなぐ存在として河合の存在は大きかったです。
河合を読んでいて思うのは、人間には表層的な自分と深層の自分、あるいは表向きの自分と不条理な世界の自分があるということです。小説には理性的な人間や正義漢が出てくるが、異常性愛者や犯罪者も主人公で出てくる。三島由紀夫も川端康成も両方を書いています。小説家はそれを行ったり来たりしながら自分の中で均衡を保っている。私はそれを心の「二焦点」と呼んでいます。
高校時代、好きだったのは夏目漱石の『吾輩は猫である』です。東京の知識人の何気ない日々の営みにあこがれました。でも、漱石が『三四郎』『それから』『門』の三部作を書いたのも忘れてはいけません。二焦点です。人間のずるさがにじみ出ている。河合と出会ってからは、そんな補助線を入れて小説を読むようになりました。
河合以外で「これはかなわない」と思ったのは同じ東北出身の井上ひさしです。高校時代を書いた『青葉繁れる』は見事でした。並外れた感性、文章力。『吉里吉里人』も圧巻です。なんと言う博学、取材力か。国家とは何かを学びました。本はふせんだらけになりました。
大学時代に出合った本ではロゲルギストの『物理の散歩道』がよかった。理系に進んだ喜びをかみしめました。東大の名物物理学者など数人の筆者がエッセイ風に物理の面白さを紹介します。60年代の本で、教授陣は持ち回りで自分の家に仲間を招き、談論風発を楽しんだ。僕も産業技術総合研究所に来てから、所内の人を交えて科学を語り合う機会をできるだけ持とうとしています。

ビジネス書を1つ。日本がジャパン・アズ・ナンバーワンといわれた80年代にグローバル人材育成を目的にした研修に会社から派遣されました。英語漬けの講義がバタ臭くていやだなあと思いましたが、野中郁次郎さんの講義は面白かった。そして出合ったのが『3Mの挑戦』。鉱山会社が技術革新を繰り返し、磁気記録などで世界的メーカーになった。私も大学で鉱山学、ソニーで磁気記録をやっていたので共感しました。自分の仕事もイノベーションなんだと自信を持てた。
最後は徒然草です。海外で名著を読むと日本を再確認できると言いますが、私の場合は米赴任からの帰国後でした。吉田兼好とはたいへんな教養人で、日本人の原点。端正な感じがした。多分、日本人だからすごいのではない。どこにいても、いつの時代にいても優れていただろうからそう思えたのです。現代人は流行に振り回されやすい。もっと普遍的なものに目を向けるべきです。