地球の未来に思いはせる
日本科学未来館館長 毛利衛氏


もうり・まもる 1948年生まれ。72年北海道大院修了。92年、日本人として初めて米スペースシャトルに搭乗。2000年に2度目の宇宙飛行後、同年から現職。
私にとって座右の書は2種類あります。ひとつが自分の精神や肉体に働きかけ、人生に影響を与えた本。ふたつめが文字通り傍らに置き、社会との関わりの中で役に立っている本です。私のいまの仕事に役立っているのが、旭硝子財団が刊行した『生存の条件』です。
同財団は1992年から、地球環境問題の克服に貢献した人を世界から選んで表彰していて、その中間報告としてこの本が出ました。地球は大気や水の汚染、砂漠化、生物多様性の減少など様々な問題に直面し、それらの多くは人間の活動が原因になっています。この本を読むと地球が直面している問題が手に取るようにわかります。
別冊のデータ集も充実しています。科学者が集めた信頼できるデータばかりで、客観的な未来予測もあります。講演のときにデータを抜き出し、理解の助けになるようにしています。データを見ながら、それらがもつ意味を考えることもあります。
一般の人が読んでも役立つはずです。たとえば地球に破局が訪れる時間を12時として、いまが何分前か示す「環境危機時計」という指標があります。専門家の意見を聞いて決めるのですが、昨年は「9時27分(きわめて不安)」という結果でした。人類に残された時間は長くありません。国や組織だけでなく個人として何ができるか考えてほしいです。
学生時代は宮沢賢治の『グスコーブドリの伝記』、手塚治虫の『鉄腕アトム』や『火の鳥』を愛読していました。科学への興味をかき立てられるだけでなく、人間が人間らしく生きるにはどうしたらよいか考えさせられる本でした。
宇宙飛行士に選ばれた後も順風満帆だったわけではありません。大学の職を捨て家族もいるのに、候補者は3人もいて必ず宇宙に行ける保証はない。しかもチャレンジャー号爆発事故の影響で搭乗まで長く待たされ、不安を感じていました。
この頃、フランクルの『夜と霧』をよく読み返しました。ナチス時代の強制収容所を舞台にした本ですが「未来に希望をもてば生きられる」「誰かの役に立ちたいと思う人は存在価値がある」というメッセージが心の支えになりました。
訓練が始まると、物の考え方が一変しました。宇宙飛行士は目標達成ありきで、目標を最短の時間で確実になし遂げるには何をすべきか、そればかり考えるのです。当時よく読んだのが宮本武蔵の『五輪書』です。剣の達人が「勝つ」というただ1点に向け、肉体と精神のあり方を突き詰めた本です。至る所に線を引きながら読みました。
忘れられない思い出もあります。妻が河合隼雄さんの『こころの処方箋』を5冊ほど買い、自宅のトイレなどに置いてくれたのです。読むと「考えて仕方ないことは一切考えるな」とある。訓練のことばかり考えている私を妻が心配してくれたようでした。肩から力が抜けました。

宇宙では効率一辺倒で、食事の時間は無駄と思っていました。しかし帰国後、家族水入らずで食事したとき、食べることはこんなに楽しく、大事なのかと気づきました。そのときに出合ったのが辺見庸さんの『もの食う人びと』です。
火山噴火で森を追われた人々がインスタント食品を好んで口にするという逸話が印象的です。野生生物を捕る暮らしの方が食生活としては豊かなはずで、痛烈な文明批判です。地球環境や人類の行方を考えるとき、この視点は役立っています。
戦前からの詩人で童謡や絵本でも知られる、まど・みちおさんの本からも多くを学びました。「頭と足」という詩には「生きものが立っているとき、頭は宇宙のはてをさし、足は地球の中心をさす」という表現があります。重力を説明するとき、これほど本質的で物理法則にかなった説明はありません。科学の難しい言葉を直観的に説明するのは大事で、講演などでいつも参考にしています。