高校野球部で「井の中の蛙」実感
ファミリーマート社長 沢田貴司氏(2)

生まれは石川県吉野谷村(現白山市)だった。
積雪が3メートルある大変な豪雪地帯が古里です。テレビもNHK(総合、教育)と数局の民放しか見れなかったでしょうか。ラジオも聞き取りにくかったね。
両親は教育者で僕は3人兄弟の真ん中です。姉と妹がいます。本当は末弟がいましたが生まれてすぐに亡くなりました。
田舎ですから夏は手取川の支流で水泳、秋には柿をむしり取って食べていました。うまかったですよ。冬はスキーに明け暮れる日々で、雪合戦が高じて喧嘩(けんか)になったこともざらでした。小学校時代の同級生は男女各6人でした。

小学生時代(右が沢田氏)
そんな小さな学校でしたがいつの間にかみんなの真ん中にいることが多く、児童会の会長にもなっていました。「お山の大将」の素養は小学校からありましたね。中学時代も生徒会の会長を務めました。
その中学では野球部に籍を置きながら他の運動部にも助っ人要因としてかり出されていました。夏は水泳部、秋は相撲部や陸上部。冬はスキー部です。でも、みんな中途半端で勝てなかった。
高校時代はパッとしなかった。
高校は金沢市内にある県立金沢桜丘高校です。家から通うのは無理なため下宿生活が始まりました。文武両道の学校として知られ、野球は甲子園にも出場したこともあります。子供のころからプロ野球選手を目指していたので躊躇(ちゅうちょ)なく野球部の門をたたきました。
まあ、「井の中の蛙(かわず)大海を知らず」というか、自分の実力をまったくわかっていなかったのです。ボールもバットも触らしてもくれません。ウサギ跳びなど昔ながらの練習についていくこともできずに半年で退部です。