花と散る日に思いをはせる
野村ホールディングス会長 古賀信行氏

最近、よく「老人」の役割について考えます。世界の中でもっとも高齢化が進む日本は、元気な老人がひじょうに多いですよね。会社や社会のなかで重要な役割を担っている方々も少なくない。
これは確かによいことですが、一方では40代の終わりにさしかかって若手だと思っている人もいる。そうした人たちのほうが今の70代、80代のリーダーより長く組織にいることはほぼ確実なのですから、はやく彼らにバトンタッチすることを考えるべきなのです。といっても、隠居するわけではない。若手だと思っている方々に真ん中にきていただいて、元気な老人は脇から支えるほうがよいのでしょう。

こが・のぶゆき 1950年福岡県生まれ。74年東大法卒、野村証券入社。2003年に社長、最高経営責任者。08年会長。11年から現職。
どんな組織であっても、自分より長くそこにいると思われる人が主役になるべきです。老いた人が「まだ自分がいなければダメだ」などと思わないほうがいい。これは自戒をこめて言っているのです。
『老人よ、花と散れ』にはそんな戒めが詰まっています。何度も読みましたが、最もこころに残る一節は本の題名です。手にとって開くまでもありません。本棚に収まったままの背表紙を眺めては、花と散る日に思いをはせています。
つい組織論になってしまうのは、野村証券で人事の仕事に長く携わったからでもあるでしょう。人間が一生懸命に働くのはどんなときなのか、といったことを考えることが多かったと思います。チョーク工場での知的障害者の働きぶりを記した『利他のすすめ』は、様々な意味で他人の存在が意義ある労働に欠かせないことを教えてくれます。
『地の底のヤマ』という小説を知ったきっかけは、よく覚えていません。しかし、私が生まれてから中学を卒業するまで暮らした大牟田の描写が印象的で、今もよく手にとります。東京にいる同郷人に薦めて回ったこともあります。
誰にとってもふるさとの思い出は、美しいものばかりではないでしょう。市井はやかましく、住んでいるのは真っすぐな心の持ち主ばかりではない。争いごとも起きる。それらも含めて懐かしいふるさとの空気感のようなものが、あの小説にはあります。著者は私より年下の方のようですが、なぜ私の知っている時代の大牟田をきちんと書くことができたのか、本当に不思議です。
高校は親元を離れ鹿児島県のラ・サール高校に進みました。そこに山一証券を辞め、先生になって赴任してきた人がいました。山一といえば1997年の自主廃業を記憶する方も多いのでしょうが、65年(昭和40年)にも一度、実質破綻しています。その先生は当時の不況で山一の経営が傾いた時に会社を辞して教職に転じたと聞きました。
1度目の山一危機を記した『昭和40年5月28日』は、そんな高校時代を思い起こさせてくれます。社会人になって分かったのは、今の証券業界や株式市場の原点があの時代だったということです。2度目の山一破綻だってもう20年近く前のことになりました。原点にもどることの大切さを確認できる一冊です。

これはもう、最初に申し上げたように、老人として「花と散った」後、一気に読むためです。今はまだためている段階ですね。
大学生の時は時間があったので1日1冊、約1カ月で全巻を読破しました。今度もそれに挑戦してみたいのです。1つの巻を数十ページずつ、何日もかけて読了するのでは、おもしろさが分からないと思います。細部の史実を勉強するために読むのではないですから。やはり、流れに没入する感覚でないと。
学生時代は徳川家康と豊臣秀吉の間で奇妙な動きをした、石川数正という人物にひきつけられました。さて今度はどうでしょう。案外、相手側に寝返っただけの人物に思えてしまうかもしれません。人生の経験を積んだ後の読後感がどう変わるのか、とても楽しみです。
(聞き手は編集委員 小平龍四郎)