日本文化の根っこを探る
国際日本文化研究センター所長 小松和彦氏

東京・府中市の中学校に通っていたころ、国語の先生との出会いが本好きになるきっかけでした。先生は同人誌などに原稿を書き、私たちには宮沢賢治やヘミングウェイを読むよう勧めてくれました。自宅に遊びに行くと家中が本だらけ。転勤の多い公務員の家庭に育った私にとって、それまで本とは「借りて読むもの」か「まわし読みするもの」でしたが、先生の書棚を見て「あぁ、こんな暮らしもあるんだ」と感激したのです。
同時に、自分も「こんな生活がしたい」と憧れました。「国語か社会の先生になって、本に囲まれて毎日を過ごす」という将来を夢見るようになったのです。

こまつ・かずひこ 1947年東京生まれ。文化人類学者、民俗学者。阪大教授などを経て97年に国際日本文化研究センター教授。2012年から現職。16年文化功労者。
先生になろうと思って入った大学でしたが、中米のマヤ文明の研究などで著名な石田英一郎先生の講義を聞き、価値観が変わるほどの衝撃を受けました。恥ずかしながら、それまで「人類学って、サル学のように人間の生態を研究するものだろう」くらいに考えていたのです。ところが、時間や空間を大きく飛び越え、文明や伝承の比較を試みるスケールの大きさに魅せられたのです。「日本史だったら源平時代が好きだ」などと狭い興味しか持てていなかった自分が恥ずかしくなりました。
やがて、未開社会の親族関係や儀礼、神話を独自の手法で分析するフランスのレヴィ=ストロースの構造人類学にも触れ、自主的に原書の読書会も試みたりしました。
大学時代の後半には、埼玉県の山間部にある両神村(現・小鹿野町)に調査に赴き、その当時も実際に起きていたとされるキツネつきや神隠しのエピソードを住民から聞き取りました。そんな日本的な様々な事象も構造人類学の手法で解き明かせないかと考え始めたのが、自らの研究を発展させる契機となりました。
石田先生の学問が横にスケールが広いとすれば、山口さんは縦にあちこちをどんどん掘り下げる感じというのでしょうか。興味のある対象へ次々に越境していく叙述に魅了されました。1980年代の「ニューアカデミズム」ブームのずっと前でしたが、いっときは、ほとんど山口さんの「追っかけ」をしていたといっても過言ではありません。山口さんが30代後半に書いた論文「失われた世界の復権」からは非常に刺激を受けたものです。

大学院時代の論文では、奈良にある霊峰で修行する僧侶の功徳を描いた平安末期の絵巻物「信貴山縁起絵巻」を構造論的に分析しようと試みます。その際、恩師から「オランダの学者が、日本の鯰絵(なまずえ)で同じようなことをしている」と聞き、英文の原書に触れました。
「鯰絵」とは江戸末期の安政地震の後に市中に大量に出回った庶民的な絵図です。地震を起こすといわれるナマズをユーモラスに描いています。擬人化したり、エビスなど別の神様と共演させたりと、さまざまな意匠があります。オランダの学者はこうした絵図に対し、ナマズが「破壊」と同時に「救済」をも表現しているというふうに、両義性をひとつのカギにアプローチしていました。
私自身の研究にも大いに参考になり、後に中沢新一さんらとともに日本語に訳し、出版しました。
古い時代の絵師の伝統を受け継ぎ、見えないものに想像力で形を与える視覚的な文化は、現代の水木しげるさんの漫画などにも脈々と伝わっていると思っています。
いま、日本の大衆文化であるアニメやゲームなどが「クールジャパン」と国際的に注目されています。私は文化人類学者、民俗学者としての研究を通じ、その根っこに古くからある人々の感情や価値観をさらに追究したいと考えています。日本では、小さな子でも「となりのトトロ」の面白さがわかるじゃないですか。
美術史家や国文学者らがあまり顧みない庶民の手になる絵図のなかに、きっとたいへんな財産があります。まだどこかに"宝"が埋まっていると確信しています。
(聞き手は編集委員 毛糠秀樹)