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「一度、リセットして元気になろう」。そう決心するやいなや、次の仕事も決めず、フリーになる準備もせずに局を退社。あれほど憧れ続け、苦労して手にしたアナウンサーという仕事でしたが、当時はそれ以外の選択ができないほど追いつめられていたのだと思います。

履歴書を提出してから1年以上もたって、アナウンスの仕事が舞い込んだ。

履歴書を提出してから1年以上もたって、アナウンスの仕事が舞い込んだ。

東京の実家に戻り、あちこちの会社へ履歴書を送ったり、オーディションに出かけたりといった、仕事探しの日々が始まりました。でも、気持ちが落ちていたのに加え、自信がなくなっていたので、表情が暗い。当然、採用されません。「生放送は半年以上のブランクが空くと、感覚が鈍る」という言葉を耳にしながら、何もできないまま9カ月が過ぎていきました。

畑違いの2年間がくれたもの

アナウンサーとしての再出発の道を見出せずにいたなか、友人に勧められ、人材派遣の会社で働くことにしたときには、「とうとう違う畑にきてしまった」と感じたことを覚えています。ところが、結果的にはこの会社で過ごした2年間が私に元気と自信をもたらしてくれたのです。

私がフリーアナウンサーとしてやっていきたい気持ちがあることを知っていた会社は、時折入る司会などの仕事との両立を応援してくれました。そして、ここで出会った仲間との出会いが、人間関係にも自信を失っていた私に自信を取り戻させてくれました。

かねてから付き合っていた人と結婚したのもこの時期です。多くの人に支えられたおかげで、ふさぎ込んでいた自分から脱することができたのです。

33歳で待望のラジオ復帰

突破口は意外なところからやってきました。局を辞めた直後に送っていた履歴書を見てくれた人が「野球が好きだと書いてあったけれど、プロ野球の速報ナレーションができる人を探している」と、1年以上たってから連絡をくれたのです。

この仕事がきっかけになって、アナウンサーの仕事が徐々に増えていき、ついに33歳でラジオへ復帰することができました。久しぶりのラジオ局、ランスルー(リハーサル)、そして生放送。あの日の緊張した気持ちと喜びは一生忘れません。私にとってラジオはアナウンサーという仕事に憧れたきっかけでもあり、キャリアの原点。本当にうれしかったです。

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