IT業界から熱燗の伝道者に 減収覚悟で転身の先見

日本酒の味わい方は人それぞれだが、熱燗DJつけたろうさんは熱く熱燗を推す
「転職の決断」は今から2カ月前(2018年5月)のことだったそうだ。転職後は「熱燗(あつかん)DJつけたろう」と名乗り、「熱燗イベント」の普及を細々と、いや着々と前に進めている。本名は吉田研三さんという。
彼は、あのリリー・フランキーさんが学んだことでも知られる武蔵野美術大学の室内空間デザイン学科を10年前に卒業した。たまたまその年、IT(情報技術)企業のサイバーエージェントが「デザイナーを募集するらしい」と聞きチャレンジしたら、見事に採用となった。その後、別会社に転じたが、変わらずIT企業の管理職として「順調なサラリーマン人生」を送っていた彼が社会人10年目にして全く別分野への転職を決断した。
「あれに出合いさえしなければ……」とつけたろうさんが言う「あれ」とは、3年ほど前、友人に誘われて行ったバーで出された熱燗だった。
「あなたは熱燗ごときで人生、変えちゃったわけ?」
危うく口から出そうになった言葉を飲み込んで、私はその先に耳を立てて聞いてみた。
熱燗のうまさに開眼、研究にのめり込む
つけたろう「ビール、ワインに焼酎、日本酒。普通にたしなむ程度に飲んではきましたが、日本酒の熱燗でこんなに心が騒いだのは、私としては空前絶後。『こんなにおいしいものを知らぬまま生きてきて、ホントにホントにスイマセンでした』と、熱燗に土下座して謝罪したくなるほど感動しちゃいました」
人生のターニングポイントが1冊の本や人との出合い、遭遇した事件という話はしばしば聞くが、「熱燗」というのは初めてだ。「衝撃の出合い」以来、彼は仕事をこなしながら、熱燗研究にのめり込んでいった。
給料のほとんどを注ぎ込んで購入した、選りすぐりの「熱燗用日本酒」と熱燗づくりに必要な道具をそろえた。熱燗がおいしいという評判を聞けば、訪ね歩く日々。気がつけば、自らも飲食店の片隅を借りて「熱燗イベント」を始めていた。
過去10年にわたって、会社勤めで蓄積したIT技術を駆使して、それぞれの酒の個性に最も適切な器、容量、温度、時間などのデータを分析。熱燗のクオリティーを高めて振る舞ったら、周囲も「ほー!」とため息をついたそうだ。
週末の「熱燗イベント(ほぼボランティア)」とウイークデーの「IT仕事」の両立はしばらくうまくいっていたが、ちょっと困ったことが起き始めた。
一人暮らしの都内のマンションは全国から取り寄せた日本酒の一升瓶やとっくり、熱燗製造キット、計測器が占めるスペースで身動きが取れなくなった。とりわけ一升瓶が100本を超えるに至り、「もはや都心の狭いマンションでは無理だ」となった。