信組金融マンから米酢の造り手に 素人が見込まれ転身
地元ラジオがつないでくれた「師匠」との縁
だが、残った問題は、酒の先にあたる酢にするプロセスだった。たまたま書店で「酢の科学」(朝倉書店)という「ズバリな本」を見つけ、懸命に読んだが、次々に出てくる単語の意味がよく分からなかった。
「酢のことなら、東京農業大学の柳田藤治先生という方が一番わかりやすく教えてくださるらしい」という噂を聞いた。取るものも取りあえず東京農大に電話して、「先生につないでほしい!」と言った必死さが災いしたのか、電話を受けた警備の人に怪しまれ、門前払いを食った。「ああ、残念だ」と、途方に暮れた。
もんもんとしていたある日、たまたま聞こえてきた地元のラジオ放送で、山梨大学の柳田教授が乳酸菌について語っていた。
「あ、あの柳田先生だ。神様、ありがとう!」
早速、山梨放送に電話すると、地元局は親切なもので、「山梨大学の柳田先生」の研究室の連絡先を教えてくれた。
事情を話すと、柳田先生はこうおっしゃったそうだ。
「ああ、それは私じゃなくて、うちの父です。現在は農大では非常勤ですから、自宅の電話番号をお教えしましょう」
山梨大学ワイン科学センターの柳田藤寿教授のおかげで、戸塚さんは藤治先生と連絡がつき、その後、酢で分からないことがあれば、直接、電話でレクチャーを受けることができるという「とんでもない幸運」に恵まれることとなった。ここでも「無鉄砲」が戸塚さんの人生を大きく前に進めてくれた。
新工場が稼働し、新たなステージへ
サラリーマンから米酢家業に転職して5年経った2005年。長谷川師匠の志と酢酸菌を譲り受け、自らの名を冠した「戸塚醸造店」としての第一歩を記すこととなった。看板商品は米酢「純米 心の酢」だ。
かつて勤務した信用組合のある山梨県都留市に新工場を建設。18年の夏から醸造を開始した。今は重要な地位に就いている、信組時代の仲間たちも温かく応援してくれているそうだ。
※「梶原しげるの「しゃべりテク」」は毎月第2、4木曜更新です。次回は2018年9月27日の予定です。
