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売れっ子リポーターから区議会議員に転身

そもそも、私はまるで社交的ではなく、むしろ人見知りだ。なのになぜ満員電車で声を掛けたかと言えば、「魔が差した」というか、「懐かしいなあー」という気持ちのほうが勝ったからかもしれない。あの当時、テレビで見た「怖そうなおじさん」とは異なり、気さくで気働きの効く須藤さんが、ロケの長い待ち時間をとても楽しい一時に変えてくれたことを思い出したのだ。

偶然、同じ駅での乗り換えとなり、電車を降り、連絡先を交換し、「近々、情報交換でもしましょう」という「近々」が社交辞令に終わらず、先日実現した。

須藤さんがリポーターから区議会議員に転じたことは知っていた。だが、それは1999年とずいぶん昔のことで、現在は5期目、在職も20年近い。しかもまもなく80歳になる最古参議員だと聞き、時の流れの速さを実感した。

須藤「昭和46年(1971年)、『微笑』という女性週刊誌が創刊され、その記者になったころからテレビに出始め、本格的に『芸能リポーター』として認知されるのはもう少し先。テレビ朝日の『アフタヌーンショー』のレギュラーになってからですかね」

計算してみると、上に記した芸能情報ワイドショーの全盛期といえそうな「1970年代初めから2000年ぐらい」までの約30年ほどと、須藤さんのリポーター歴は、ほぼピッタリ重なっていた。

梶原「数あるリポーターの中でも須藤さんは『芸能人を責め立てる言いたい放題キャラ』とか言われて、ひんしゅくを買っていませんでしたか?」

須藤「ひんしゅくは買ってないんじゃないかなあ。本当のことしか言ってないから。まあ、目の前で『殺してやる!』とは言われたけどね」

梶原「やっぱり」

訴えさせない言葉選びとは?

須藤「こう見えても、街中で若い女の子にじーっと見つめられたことだってあるのよ。僕に気があるのかな、なーんて思ってたら、あかんべーすんの。あれって愛情の印でしょう?」

梶原「いじめた芸能人のファンの子だったんじゃないかな」

須藤「いやいや、こっちは、いじめる気なんか、さらっさらないの! 意外だと思うかもしれないけど、ぼくはずるいところがあって、『コンプライアンス』なんてことが言われるずっと前から計算して言葉を選んで突っ込んでるわけ。だから、名誉毀損で訴えてやる、なんて言われても、実際に訴えられたことは一度もないの」

「ほんとかな」とつぶやく私に須藤さんは思わぬ例を挙げてきた。

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