中学2年でアポロ11号体験 日本の宇宙開発には懐疑感
宇宙航空研究開発機構(JAXA) 元シニアフェロー 川口淳一郎氏(3)

中学の理科研究部では固体燃料ロケットの燃焼実験もした(上段左端が川口氏)
エンジンの故障をはじめ数多くのトラブルに見舞われながら、困難を乗り越えて地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)でプロジェクトマネージャを務めた、元シニアフェローの川口淳一郎氏は、小惑星からサンプルを持ちかえる世界初の試みを成功に導いた。川口氏の「仕事人秘録」の第3回では、米ソの宇宙開発競争が激しかった時代を語ります。
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1961年に旧ソ連が世界初の有人宇宙飛行に成功。69年には米国のアポロ11号が月面に着陸するなど冷戦下の激しい宇宙開発競争を目の当たりにしながら成長した。
アポロ11号が月面着陸したのは中学2年の時。全校生徒が体育館に集められてテレビ中継を見たことを覚えています。翌年2月には日本初の人工衛星「おおすみ」が打ち上げに成功しました。米ソの宇宙開発競争で一年に何回も宇宙飛行士を乗せた宇宙船が打ち上げられ、そのニュースを見る中で自然に宇宙への関心を持つようになりました。
小学生の頃から乗り物が好きで、ロケットにも興味を持ちました。中学では理科研究部に所属し、見よう見まねでロケットを作ったりしていました。理科室にあった材料を使っておおすみを打ち上げたロケットで使われていたような固体燃料を作り、ロケットのような機体に詰めて燃焼実験をして遊んでいました。
ロケットではありませんが、コンクリートで作った火山の模型に固体燃料を詰めて噴火の模擬実験をしたこともあります。かなり激しい爆発をおこし、今、考えるとよくケガをしなかったものです。