速度補うスイングバイが突破口に 世界初の試みに挑戦
宇宙航空研究開発機構(JAXA) 元シニアフェロー 川口淳一郎氏(11)

「はやぶさ」は2003年5月9日に打ち上げられた(左が川口氏)
エンジンの故障をはじめ数多くのトラブルに見舞われながら、困難を乗り越えて地球に帰還した小惑星探査機「はやぶさ」。宇宙航空研究開発機構(JAXA)でプロジェクトマネージャを務めた、元シニアフェローの川口淳一郎氏は、小惑星からサンプルを持ちかえる世界初の試みを成功に導いた。川口氏の「仕事人秘録」の第11回では、はやぶさの成功につながった、大胆な試み「スイングバイ」について解説します。
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はやぶさを搭載したM5ロケット5号機が、鹿児島県の内之浦宇宙空間観測所から打ち上げられたのは2003年5月9日。小惑星「イトカワ」に向かうにはギリギリのタイミングでした。この後、私が所属する宇宙科学研究所は宇宙開発事業団などと統合して宇宙航空研究開発機構(JAXA)が発足します。宇宙研としては最後のロケット打ち上げになりました。
打ち上げから20分ほどで探査機からの電波をカリフォルニアで受信。太陽電池パネルの展開も無事に終わり、順調に軌道に乗りました。ところが半年後に太陽表面で「太陽フレア」と呼ぶ巨大な爆発が起きます。
太陽フレアが発生すると太陽から強力な荷電粒子や放射線が飛びだし、電子機器や太陽電池が故障するなどの影響を受けます。宇宙を飛行する探査機にとっては天敵のような存在です。特にこのときの太陽フレアは観測史上最大の規模でした。はやぶさもその影響で太陽電池パネルの出力が2%ほど低下し、回復できなくなりました。
イオンエンジンは電気が無ければ動きません。太陽電池パネルの出力が低下すると推進力も落ちてしまいます。そこで軌道の再検討をしてイトカワへの到着予定を3カ月遅れの05年9月に変更しました。